人は言葉で嘘をつく

人は奇っ怪、世は不可解
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 11月9日の朝、起きて新聞をぼーっと眺めていたら、『ホームレス夫婦、「塩の道」1014キロを歩く』の書評が載っているのを見てちょっと驚いた。
 いや、驚いたというか、原書が2018年に出版されてから7年近く経って翻訳が出たから、ということでなくて(だいたい私は英語で原書なんて読めないし、こういう本があるなんて最近まで知らなかった)、
「イギリス本国だと、著者の経歴も内容にも疑義が呈されたいわくつきの回顧録」
 って思われるようになってるのに、今になって出しちゃうのか……、っていう出版社の読みの甘さに拍子抜けした感じがしたと言った方が合ってるかもしれない。
 多分、映画化もされて本国イギリスでは春に公開されているので、日本公開も近いからそれに合わせて今になったのかもしれないけど(まだ情報はないけど)、タイミングが悪くて他人事ながら悲しい。
 本の内容は、

家なし、職なし、夫は不治の病。人生崖っぷちに追いこまれた夫婦は思い切った決断をする。イギリス南西部のマインヘッドから世界遺産のプールに至る海岸沿いの道、「サウス・ウェスト・コースト・パス」を歩こう。全長約1000キロの「塩の道」への挑戦が始まった。
生きるのに必要な最小限の持ち物をリュックサックに詰め、二人はいにしえの面影を残す道を歩きだす。二人を迎えるのは崖と海と空ばかりの風景。だがさまざまな人と出会い、さまざまな試練を乗り越えることで、次第に喪失の悲しみと折り合いをつけ、前途に希望を感じさせる旅になっていく。
レイナー・ウィンが旅の記念にと出版した本書(原題『The Salt Path』)はデビュー作にもかかわらず、「人間の強さについての美しく叙情的な物語」(ガーディアン紙)、「驚くべき救済の旅」(フィナンシャル・タイムズ紙)など各紙で高く評価された。さらに「サンデー・タイムズ」紙のベストセラーとなり、イギリス国内で100万部、世界では180万部の売上を記録している。単なる旅行記にとどまらない、〈人生の気づき〉を与える一冊。

amazonのページより引用

 というものらしい。
 さて、この『塩の道』のことを知ったのは本当に偶然で、YouTubeのおすすめで出てきたのが知るきっかけだった。 でも、最近は動画内の音声はオリジナルの言語でもタイトルは翻訳されてたりするので、”『塩の道』の嘘”ってタイトルを見て、こういう出版関係のゴシップネタが好物なのでちょいと見てみたのが最初だった。
 そしてその動画の内容というのが、『The Salt Path』を書いたレイナー・ウィンの過去を知る人が出てきて、この人が知っているレイナー・ウィンは名前が違うし、ウィン夫妻が一文無しになる原因を作ったのは他人ではなくて自分たち自身だったというもの。
 つまり、『塩の道』が謳っていた「真実」や「事実」は、どうやら捏造だったのではないかと。
 この動画はイギリスの超老舗新聞『オブザーバー』紙が投稿しているから、『オブザーバー』本紙でも報道しているようです。
 とはいっても、こういう過去が後ろ暗いからというだけで本に書かれたことまですべて疑うことはないのだけど、夫がCBD(大脳皮質基底核変性症)という難病だという「事実」が、本にまつわる事態をますますややこしくさせてしまったようで。
 Wikipediaを読むと、CBDという病気には根本的治療法はないとあって、動画のコメントにも、病気になった当人は当然のこと、家族など周囲の人たちも衰弱していくのを見守っていくしか手立てがない苦しさを綴っている。
 そのような難病を抱えながら1014キロという長い距離を歩き終えたら、夫の病気に良い兆候が見えるようになった、みたいなことが書いてあるらしくて、本を読んだ同じ病気を抱えた人たちや家族に希望を与えたという。
 でも、その病気も実は話を「盛る」ための嘘だったんじゃないかと言われている。
 実際のところはどうなのかなんて外野の人間にはさすがに判断できないけれども、この本にまつわる一連の動画を見たり、記事を読んで思ったのは、テレビのやらせはすぐに問題視されるのに、出版業界の嘘はわりと話題になるまでスルーされる傾向があるよね、ということ。
 7月にも、海外まで巻き込んだ「予言」本の騒動があったけど、もう忘れてるでしょ?
 テレビや新聞の不正は厳しくしつこく追求するくせに、出版社って結構自分に甘いとこあるよな(あの「謝ったら死ぬ」はずだった新潮社が今年謝罪したのはびっくりしたけど、死んでないな?)。
 誰だって自分は善人だと思いたいよ? 自分の不幸で同情して欲しい気持ちだって、ワタシにもあるさ。
 だからって「真実」を売りにしている回顧録、自伝でこれをやる神経が分からん。顔出ししてインタビューもされてるんだから、どこかで”ボロ”が出るとは考えなかったんだろうか? ま、考えてなかったから、ああなってるんだが。
 でもまー、自分のことを語ろうとすると、綺麗に飾りたくなるのが人の気持ちなんだろうな。こんなことを書いてる私だって、いざ自分について書こうとすれば実物以上に「良い人」で「可哀想な人」として書くと思う。
 そんな人の業に抗って、自伝『李香蘭 私の半生』を共同で執筆した山口淑子は凄い!
 人間の出来とか、生きてきた人生の厚みの差が、自惚れと無縁にさせたのかもしれない。「そういう星の下に生まれてしまった」人間ほど、唯我独尊の怖さを知っているというか。
 でも、特に語るような経験も才能もない凡人は、本当の(かっこ悪くてみっともなくて恥ずかしいとこしかない)自分を大切な人に語るより、嘘にまみれててもいいから、綺麗なだけの自分を赤の他人に観てもらう方が楽なんだろう。本当に好きな人に失望されるより、偽った自分でも沢山の人に賞賛される方が安心出来るってことで。
 ほーんと、ニンゲンってめんどくさいな!

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