潔癖で厳格なモラリストじゃないので、エロに関しては寛容というか嫌いじゃないというか、まあ、人並みに興味はあるし割と好きな方だ。
まあ、好きじゃなければ官能小説なんて書く気も起こらないから、充分好き者の部類には入るんだろうなとは思う。
だけど、エロなら何でも好きかっていうとそれは違う。人によって性癖のツボが違うように、好むものと好まない表現というのがある。
そして、ワタクシは「ヤッてればいいんだろー」的な頭を使ってないポルノが嫌いです。
頭を使ってないとはどういうことかと言いますと、つまり、作り手のセンスやこだわりがない、露骨に性器の出し入れをだらだら映してるようなヤツですな。ああいう「……で? だから?」としか思えないエロほど、世の中で退屈なものはないと思っている。
そんなワタクシが好きなエロティック・アート(ほら、もうこの時点で人と違うのよ感を出している)はというと、エドゥアール=アンリ・アヴリルの絵。
詳しいことはリンク先を見て欲しいのだけど、彼は「ポール・アヴリル」の筆名で性愛文学の挿絵を描いていて、有名なものだと『ファニー・ヒル』の挿絵か。
『ファニー・ヒル』といえば、猥褻表現に対する公権力の検閲の歴史を語る上で欠かせない性愛文学として有名だけど、そんな大層な扱いとは裏腹に、ヒロインのファニーはあっけらかんと娼婦人生を謳歌している。最初は娼婦に堕ちた我が身を憐れみ、世を儚んでいたのに、「だったら、この世界で天辺とったるわい!」ってな感じで腹を括ってからは、生き生きと自分の性と人生を楽しむようになる。
そして、アヴリルはそんなファニーを祝福するかのように、彼女の経験するセックスを描く。
その姿は、娼婦として搾取されている哀れな日陰の存在としてではなく、ただ娼婦という人生を生きているしたたかな女、善悪など超越した存在なの。
という感じで、アヴリルは性を卑しいものとして描いていないのが良いのよ。
人の当然の営み、社会の中で生きている人間の様々な行為の一つという、観察者としてはかなりドライだけど他者に対する温かい視線も感じるのだ。そんなアヴリルの絵に、こんなものがある(以下の画像。*元絵はばっちり挿入部分が描かれてますので、一応の配慮で加工してます。完全版が見たかったらWikimedia CommonsへGo!)。

古代ローマ時代の風俗を描いたと思われる絵なのだけど、これを見た時、思わず笑ってしまった。
だってね、身分の高そうな男二人(ちなみに片方はハドリアヌス帝らしい)がえっさほいっさ腰振って頑張ってるだけならまだしも、問題はそばにいる女子! 多分、時代が時代なので彼女は奴隷身分の女性の召使いだと思われる。
で、場所はエジプトだから暑いってんで、汗掻き汁迸らせ腰振り運動している男二人のために扇ぐ役割を仰せつかったわけだが、何ともビミョーーーーーーな顔で仕事している。

見よ、「やってらんねー」感に満ちたこの表情! この顔がすべてを物語っているではないか!
いくら仕事でも、この状況は酷ってものである。
「あんあん♡」言ってる奴らをただ見てるだけ、ムラムラしても「混ぜてくれ」とは言えるわけもなく、じっと我慢の子で扇いでいる。
ワタクシ、彼女の心境をちょっと想像してみたよ。
ああ……、アタシ何やってんだろ……?
そりゃ仕事ですからぁ、やれって言われたことはやりますけどぉ、だからってさぁ、何で他人の、それも野郎二人がヤッてるとこにいなきゃなんないのかなぁ……。
あーあ、誰かに代わってもらえば良かったなあ。皇帝んとこで仕事っていうから、お給金も良いんだろうって思ってたけど、こればっかりはキッツいわぁー。
あっ! ちょっとぉー、勢い良すぎて汁がこっちまで飛んできてるんですけどぉ(怒)?
ただ単に性的な絵を描くだけなら頑張っている男二人の左部分だけで充分なはずなのに、つい蚊帳の外に置かれた対照的な存在も描いちゃうセンス、やっぱり好きだなぁ。
あ、ハドリアヌス帝、彼女へのお給金、うんと弾んでやってくださいませね!


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