三月九日正午。いつもなら聖堂の鐘が鳴るところだが、今日だけは違った。クレムニクの屋上に据えられた十月革命時に使われた大砲の発射音が響く。その後、当代一のピアニストであるハチャトゥリャネスカによるショパンの葬送行進曲の演奏が始まった。
もの悲しくも、美しく厳かで、堂々たる音色は、葬儀の主役に相応しい名演奏だった。
そして、演奏が終わり、ピアノの余韻が消えた瞬間、広場の外は一斉に騒々しくなった。モスコヴァにある工場という工場から、車のクラクションが鳴らされたのだ。だが、この場にいる誰一人として嫌そうな表情をする人間はいない。彼にはこの、工場の労働者たちの”声”こそが、新天地への旅路の一番のはなむけとなることは誰もが知っていたのだから。
しばらくして、この騒がしい別れの言葉も収まる。その静寂を合図に、その後の五分を彼に、偉大なる指導者ディミトリ・ガリェーチンへの黙祷に捧げた。
永遠の中にある五分など、取るに足らない時間なのかもしれない。でも、私たちにとってこの五分間は、人生の中で忘れ難い記憶として刻まれるのは確かだった。
やがて、黙祷の終了を知らせるようにソヴォク国歌が流れ始め、クレムニクの上に再びソヴォク国旗が高く掲げられた。霊廟の両脇に整列していた兵士が隊列を組んで広場の門へ進んで行き、上空では飛行隊が編隊飛行している。
この瞬間、六日から始まったディミトリ・ガリェーチンの国葬行事がすべて終わり、ソヴォクを覆っていた悲しみは日常の影の中に収まっていく。
そして、広場を埋めつくしていた大勢の市民は、それぞれ広場の門や大聖堂脇などに向かって散り散りに去って行く。中には「同志ガリェーチン万歳! ソヴォク共産主義は永遠だ!」と叫んでいる老人や、空の飛行機に夢中になっている夫婦者らしい男女がいたりするけど、ほとんどの人が口にしていたことは昼食のことだった。
そんな人混みの中で、霊廟をぼんやり眺めていたオリガの脇を大勢の人が通り過ぎていく。そんな中で、「朝ご飯のプレスヌハ残ってるよね!」と言っている女の子の声が聞こえてきた。
声がした方に目をやると、お下げ髪の女の子が両親と手を繋いでスリスヴァカヤ・ウーリツァに向かって歩いているのが見えた。
三人で何だか愉快そうに笑っていて、つい先刻までここで国葬をやっていたとは思えない。まるで休日のピクニックにでも来たような雰囲気だった。
でも、彼らにしてみれば、政治家の死など些細なニュースの一つでしかないのかもしれない。
どんなに歴史に名を残す偉大な指導者であろうと、所詮赤の他人なのだ。
その死に衝撃を受けようと、そのことで一時的に日常の動きが止まろうと、一通りの追悼行事が済んでしまえば、以前と同じ生活を続けていくだけのこと。自分一人の力ではどうにもならない大きな社会より、まず自分の暮らしを優先するのは、市井の人間においては至極健全な感覚だろう。
そう、父を悼むのは自分だけで充分だ。
皆は、ディミトリ・ガリェーチンの面影だけを懐かしんでくれればそれでいい。
そんなことを考えながらあの家族が通りに出るのを見ていると、オリガの脳内でオーブンから出したばかりの、温かい甘い香りと、「さあ、出来たわよ!」と叫ぶ母の声がした。
そうだ、母は日曜の朝は決まってプレスヌハを焼いてくれていた。
「これは材料を混ぜて、型に入れて焼くだけだから、誰にだって失敗することはないのよ」
と言っていたものだった。
オリガの母は、オリガが物心つく前から党の仕事をしていて、またオリガが学校に入ってからは自身も専門学校に入って学業に専念したこともあり、普段の家事一切は家政婦に任せていた。だが、日曜の朝だけはプレスヌハをせっせと作って、オリガや家政婦たちと一緒にテーブルを囲んで食べるのが常だった。
そんなわけで、プレスヌハはオリガが知っている唯一の母の味と言ってもいい料理だったが、どういうわけだかいくら母と同じように作ったつもりでも、母と同じ味になった試しがない。父にもよく言われたものだった。
「お前は簡単なものほど難しく考えてしまう癖がある。ほら、こんな風に」
と、焦げたプレスヌハや茹ですぎでぐずぐずのジャガイモに呆れられたのは、両手では足りないほどある。
こんな思い出に耽っていたら、胃が寂しそうに音を上げた。
ああ、そうだ。朝は食欲がなかったから、お茶とクッキー二枚で済ませてしまっていた。ずっと我慢させられていたのだから、泣きなくなるのも当然だろう。この感じだと、家に戻るまでに持ちそうにはない。それに、最近は家で食事をすることが少なかったから、食材の在庫も尽きている。
それなら、昼は久しぶりに食堂で食べようか。今は家で静かにひとり黙々と食事をしても、ロクなことを考えそうにない。赤の他人のお喋りを聞きながら食べれば気も紛れるだろうし、食堂の食事だってごちそうに思えるかもしれない。
そう決めてから、大きくふーっと息を吐く。すると、体の奥から力が抜けて気分も軽くなった。
その瞬間、三月になってから起きたあれやこれやの出来事を思い出す。
あの日、父が倒れてから十日も経っていないのに、まるで何十年も経ったよな感じに思える。
不安と恐怖、そして無意識に感じていた期待感と。あの日々の中で身のうちいっぱいに渦巻いた感情は、今日、この時を境に過去となるはずだ。
この世界で自分を迎え入れてくれる人が誰もいない寂しさと、もうあのいつ爆発するかしれない気まぐれから解放される嬉しさ。
そんな両極に触れる思いを整理するには、街中の雑踏こそが必要かもしれなかった。
ディミトリ・ガリェーチン、ソヴォク共産党書記長であり、社会主義共和国連邦第二代最高指導者で首相であり、先の大戦では連合国の一角としてゲルマニアらの枢軸国と戦い、見事勝利に導いた政治家である。
帝政ルーシ時代から革命家として活動し、一九一七年に起こった十月革命ではボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・イリインと共に革命を成功させ、その後のルーシ内戦などでもボリシェヴィキ幹部の一人としてソヴォク赤軍を率いた。
そして、紆余曲折を経た後、一九二二年にソヴォク社会主義共和国連邦を建国したものの、一九二四年に始祖たるウラジーミル・イリインは道半ばで病死してしまう。だが、彼の遺志を継いだディミトリ・ガリェーチンが、人類史でも類を見ない他を圧倒する強力で卓越した指導力で、ソヴォク連邦を資本主義の大国アメリカと肩を並べる強国に作り上げた。
ガリェーチンの政治哲学は極めて簡潔だった。即ち、「共産主義こそ人類が目指すべき社会であり、その実現のためにはいかなる犠牲も厭わない」だ。
この哲学は自分自身に対して課しただけでなく、ソヴォク国民はもとより、他の共産主義国家に対しても同様に求めた。真の共産主義者であるイリインの、正統なる後継者である自分の理論は絶対的正義であり、それ故速やかに実行されなければならないと信じていた。
その指導力は共産党の影響力も強め、ソヴォク連邦を手本にした東欧の同志たちを中心に起こった共産主義革命が各国で成功した原動力となった。
先の大戦中、ブリタニアの首相スペンサーが、
「世界を地獄にしようとする者がいるなら、私は真の悪魔と手を組むことも躊躇しない」
と発言したように、西側諸国にとってのディミトリ・ガリェーチンは、嫌悪すべき対象であるが、一方で畏怖する存在となっていた。
だが、そんな「鋼鉄の意志と拳を持つ男」だって人の子であり、死から逃れることは出来なかった。
オリガがラヴレンチー・メリアから父が倒れたとの連絡を受けたのは、図書館に籠もって資料の文献を読み漁っていた時だった。
「オリガ! 電話があるの、至急来て!」
慌てた様子の同僚のポリーナがやって来た。彼女の怯えた表情で、即座に只事ではないと分かった。急いで電話のある事務室に向かい、受話器を取る。と同時に、部屋にいた全員が廊下に出て行った。これは、オリガに電話がある時の習慣になっていた。
「もしもし、代わりました。オリガ・ガリェーチナです」
「オリガ? 私だ。メリアだ。いいかい? これから言うことを聞いても、決して動揺しないで欲しい。君までどうにかなってしまったら、我々としても困るから」
「そんな前置きはどうでもいいわ。とにかくどうしたの? 父に何があったの?」
これまで、彼からかかってきた電話で父親と無関係だったことは一つもない。そして、飛び上がるほど嬉しくなるような話題だったことも。
どんなに不快で不愉快な報告にも慣れている。だから、オリガにしてみれば単刀直入に教えてくれる方が気が楽なのだった。
しかし、今回はこれまでとはまったく別の、彼女が今まで想像したことすらなかった情報だった。
「いいですか? 落ち着いて聞いて下さい。同志ガリェーチンが倒れて、現在も意識がありません」
受話器を通して聞こえてきたその声は、感情を抑制しようといつも以上に低いものだったが、そのわざとらしさが、余計に彼が興奮に飲まれそうになっていることを物語っていた。そんなメリアの興奮は、電話線を伝って私にも伝播した。
「え? パパが? パパは今どこなの? |シェルビスカ《別荘》なの? パパはどういう状態なの? 医者は? すぐ来てくれた? 診断は? あなたはどこなの?」
頭に浮かんだ言葉を、口をもつれさせながら何とかそのまま口にする。
「落ち着くんだ、オリガ。私は今、シェルビスカにいる。医師団が来て、同志を一生懸命診てくれてるよ。まだ意識は戻っていないけど、処置のおかげで脈や息は安定している」
「ああ……。そうなのね。私も急いでそっちに行くわ」
「さっき、私がそちらに車を向かわせたからそれに乗ってくればいい。気持ちは急くかもしれないけど、運転手には絶対に安全運転で来いと言っている。焦っているかもしれないけれど、スピードを出せなんて無茶な命令はしないで欲しい」
「ええ、分かったわ。でも……、パパの顔をこの目で見るまで怖くて仕方ない」「今は何も考えずに深呼吸するんだ。さあ、ゆっくり息をして、吐いてを繰り返してごらん」
「ええ、そうね。はあ……、ふう……。ああ、少し気持ちが落ち着いたかも……。そして、あなたの他にそこには誰かいる? レヴィタンとかノヴィコフとかリヴォフたちは?」
「勿論、彼らにも連絡したよ。多分もうそろそろ来るはずだ。だから、他のことは私たちが何とかするから、君は同志のことを頼むよ」
「ええ、分かったわ。ありがとう。あなたがいてくれて本当に良かったわ。あなたがいなかったら、私だけならどうなっていたか分からないもの。本当に感謝するわ」
弱々しい声でそう言うと、メリアはこの時初めて強ばった調子を解きほぐしたように言った。
「礼にはまったく及ばないよ。私は同志にすべてを捧げて生きると誓ったんだし、同志にとって命と同じくらい大切な君のことも、私には大事な存在なのだから。だから、安心して”パパ”のそばにいて欲しい」
「本当に、本当にありがとう。では、そちらでお会いましょう」
「ええ、お待ちしています」
その後、オリガはやって来た車に乗って、父の住まいであるシェルビスカに向かった。さすがに、国家元首の健康状態は最高レベルの国家機密なのだから、本当のことを言うわけにはいかないので、同僚や上司たちには、適当な言い訳をして早退することを伝えた。
シェルビスカに着くと、メリア始め、政治局の面々がオリガを出迎えた。
「父は?」
「大食堂にいる。治療をするのに都合が良いからね」
そうして連れて来られた大食堂で、医師たちの治療を受けている父親と対面した。
ガリェーチンは、大食堂のほぼ真ん中に据え置かれたソファの上にいた。
ガリェーチンは革命家時代の習慣から、めったに寝室で床に就くことはなく、もっぱらソファで寝るのが常だった。だから、ソファに横になっている様子はいつも見る姿と同じだったが、今オリガの目に映る老人が父親と同じ人物だとは信じられなかった。
それくらい、メリアから聞いて想像していた姿より酷かった。顔は土気色で、息をするたびに口からゼエゼエいう音が弱々しく漏れ出ている。医師たちが、治療のために腕に何本もの注射を突き刺しても、顔や首に何匹ものヒルをつけられても、まったく反応がない。
その姿を見ていたら、オリガの胸はギュゥゥゥゥゥッと締め付けられそうになった。加えて、激しい動悸もしてきて苦しくなった。それから足が震え、全身の力が抜けていき、空気が抜けて萎んだ風船のように、その場にぺたんと頽れてしまった。
「ああっ、オリガっ!」
医師と話をしていたルシコフが、驚いてやって来た。オリガは、忙しくしている彼らに、余計な気を遣わせまいと自分で立ち上がろうとするが、力が入らないせいでなかなか上手くいかない。その様子を見ていたトムスキーが、クッションを二つほど手にしてそばにやって来た。
「無理して立たなくていい。これに寄りかかって、そのままゆっくりしていなさい。同志のことは、私たちでやるから」
彼の好意に感謝を伝える。そして、片方のクッションで腰を支え、もう片方は膝の上に置いて抱きかかえるような姿勢でソファの父を眺める。
そして、胸の中で無心にこう祈っていた。
神さま、お願いです。父を、ディミトリ・ガリェーチンをその御手でお救いください……。
父の治療のためにシェルビスカに連れて来られたのは、いずれもソヴォクの高名な医師たちだった。だが、彼らのこれまでの医師人生で、父を診察したことがある人間は誰一人としておらず、この患者と初めて会ったのが連れて来られた当日という有り様だった。
そのせいで偉大なる指導者をどう扱えば良いのか見当が付かず、脈を取ることすら簡単に進まない。
「一体何をやってるんだ。しっかり手を持ってやれ!」
彼らの後ろで立っていたメリアが叱りつけるが、診るはずの医者が緊張で思うように体が動かない。
その傍では、歯科医が父の口から入れ歯を取り外そうと躍起になっている。こちらもこちらでおっかなびっくりやるものだから、口の中を弄くる時間だけが徒に過ぎる体たらくだった。
その間も父の瞼は下りたまま呼びかけにも応じず、鼻の奥から時たま「ズズズズズ……」という音が漏れ聞こえてくるだけ。時たま思い出したように左足がピクッと弾くように動くことはあるが、患者に見られる変化はせいぜいそれだけだった。一向に容態が好転しないことに、政治局メンバーたちの苛立ちばかりが増していく。
「おい、早く何とかしないか!」
そんなことを入れ替わり立ち替わり、言葉を変えて医師たちを責め立てた。
彼らに言われなくても、医師たちだって何とかしようと必死だった。
医師団は脳卒中という診断を下し、それに見合った治療を施していたが、彼らは自分たちの医療行為が報われることがあるとはとても思えなかった。 自分たちが出来るのはせいぜい症状が悪化するのを防ぐくらいのもので、それで辛うじて命は救うことはできるだろうが、倒れる前の状態に戻せるという自信は持てなかった。
いや、そもそもこの場にいた人間の中で、希望的観測を抱いていた者など誰もいなかったというのが現実だった。
父のために必死に祈っていたオリガでさえ、「もしかしたら……」という考えが意識に上ったのだから。そして、その禍々しい考えが浮かぶたびに「нет|《いいえ》!」と否定する。しかし、ソファに横たわっている父は、刻一刻と近づく死への旅支度をしている様子は明らかだった。
いくら名前を呼んでも、顔を撫でても体を揺すぶっても、ちっとも反応してくれない父などオリガは知らなかった。いつだって、「パパ!」と呼びかければ、
「何だい、オリガ?」
と言って、煙草の煙の向こうから、くすぐったそうな顔を浮かべてすぐ応えてくれた。
でも、そんな父の姿はもうそこにはなかった。
自らにも他者にも厳格で、神経質なほどに繊細で、それでいて非情で冷酷で、容赦ないリアリストでありながら誇大妄想的に理想主義者で、意地悪く人を揶揄いつつ大らかなユーモアで人々を魅了し、共産主義の実現のためならソヴォクを業火で清めることも厭わなかった、「燃えるような鋼鉄の男」、それがディミトリ・ガリェーチンだったはずだ。
だが、そんな「鋼鉄の意志と拳を持つ男」だって人の子なのだ。死の運命から逃れることは出来ない。
時々苦しそうな表情を浮かべつつ、すっかり幼い子どものように無心の表情で目を閉じている父を見ていると、かつてはこんな風に無邪気な寝顔を母親に見せていたんだろうな、と思った。この人に、そんな子ども時代があったなんて、とても信じられないけれど。
そんな風に数日過ごしていた時、父の顔をしみじみ眺めていたら、ある考えが浮かんだ。
それは人倫にもとることなのは充分理解している。でも、父をこのまま生と死の間をさまよえる迷子にすることの方が苦しかった。
しばらくそのことについて考えた。
パパはこのことをどう思うだろう? 娘の裏切りと感じるだろうか? 見損なったと失望するだろうか? それとも、あの時のように、ただ黙って悲しい顔をするだけだろうか?
もしかしたら、これまでも自分をさんざん悩ませてきた娘が、またバカなことをしでかそうとしていると苦笑するだけかもしれない。
でも、父本人が何と思おうと、まったく終わりが見えない今の状況では、どこかで区切りをつけなければならないのではないか。
これは娘であり、唯一の肉親である自分の個人的な感情からではない。
国の中枢機関が停止したままの状態は、国民のためにも避けねばならない。
そう自分が思うように、ガリェーチンもまた考えるに違いないはずだ。何しろ、「自分はソヴォク連邦と運命を契ったのだ」という自負と誇りを持っていた男なのだから。そんな父が、国を、ソヴォク国民を厳しい世界情勢の中で路頭に迷わせることになるなど、父自身が許すはずがない。
それならば、娘の決断を父が拒むことはない。
そう信じた。
父が倒れてから四日経ったが、病状はまったく好転する気配はなく、ダーチャの中にいた全員に疲れの色が見えていた。
そして三月五日の夕方、私は部屋を出ていた医師団と政治局のメンバーたちに、大食堂に集まるように声をかけた。
「父の側近であるアンドレイ・リヴォフがそばにやって来て、困惑した様子で訊ねてきた。
「言わなきゃいけないことがあるの」
「皆にかい? 私たちだけでなく、医師たちにも?」
「ええ。皆さんに私の考えをはっきり伝えたいの」
こんなやり取りをしている間に、部屋の中は人でいっぱいになった。
ソファを囲むように並んでいる中、政治局の中でリヴォフと共に最古参のアルチョム・レヴィタンが、全員を代表するように訊いてくる。
「で、オリガ。話って何だね?」
オリガはその場にいる人間をざっと見回す。そして、ほんの一瞬だけ間を置いてから、こう切り出した。
「父の治療は、今日限りですべて終わりにしましょう」
彼女の言葉に、全員が声にならないような驚きの反応をした。特に政治局の面々は反応が大きく、中でもリヴォフとレヴィタンは、理解しがたいといった顔で私を見た。
彼らにすれば、人生の大半をガリェーチン主義者として生きてきており、父を支えてきたことを誰よりも誇りに持っていた。ガリェーチンなきソヴォク連邦など考えられないと思うのも当然かもしれない。たとえ崇敬するガリェーチンの娘だとしても、彼を見殺しにするような決断は許し難いだろう。
しかし、どんなに非難の声が上がろうと、オリガの決意に一切の迷いはないし、またそれを覆すつもりもなかった。
オリガは、皆に自分の考えを話し始める。
「確かに、治療を止めることが父の死を意味することは分かっています。何度も何度も自問しました。『これが父にとって良い選択になのか』と。父が亡くなることは、この国を危険に晒してしまうことなのも知っています。父がいなくなれば、ソヴォクだけでなく、西側諸国が同盟国内で反共勢力を焚きつけるだろうことも容易に想像できます。反革命勢力はこの国にとって危険であることは、十月革命以来変わらないのですから。
また、父がいなければアメリカと方を並べるほどの強国となることはなかったでしょう。父が今のソヴォク連邦を作り上げたことに、娘としてだけでなく、ソヴォク国民の一人として尊敬し、感謝しています。そして、そんな偉大なガリェーチンを支えてきた皆さんに対しても、いくら感謝しても足りないと思っています。
しかし、今の状態が続くことが好ましいとは思いません。父の病状が好転する確信がないまま今の政治的空白が続くことは、国内の不安定化に繋がるでしょうし……」
決断には迷わなかったが、次の言葉を口にすることは躊躇した。
「それに、これ以上の治療に意味があるとはとても思えないんです。もう父に残っているのは、遅かれ早かれやって来る死だけでしょう」
頭の中であれこれと考えている時と違って、言葉にしてしまうことで父の死は確定してしまうようで怖かったのだ。
でも、いざ口にしてしまうと、途端にすっと気が軽くなった。
「いつかはやってくることだったんです。ただ、その”いつか”が急にやって来てしまったのでとても混乱してしまったけれど、父は、ディミトリ・ガリェーチンは、近く確実に死にます。その現実から逃げるわけにはいかないんです。どこかで決めなければならないんです」
オリガがいくら言っても政治局のメンバーは腑に落ちないようだったが、逆に医師たちはどこかほっとした表情を浮かべていた。
医師は皆、最近起きた『医師団陰謀事件』に関連したとして公的機関から追放されていた『人民の敵』だった。『人民の敵』とされた彼らが、どうしてガリェーチンの治療に駆り出されたか。オリガがそのいきさつを聞いた時は、運命の女神は悪戯好きにも程があると苦笑するしかなかった。
医師たちは声高に非難されながら公職を追放された後、人の視線から逃れてひっそりと静かに生きていた。それがガリェーチンが求めたことなのに、ガリェーチンが意識不明になって彼から向けられる敵意が下がるや否や、ガリェーチンのことをどうにかしろと無理矢理連れて来られたのだ。
このことだけでなく、かつて自分たちの仲間たちも、今診ている患者と、周りにいる人間によって、かの大テロル時代に処刑されていた。その記憶が薄れていた戦後に、再び粛清の予兆ともいうべき『医師団陰謀事件』が起きていたのだから、「今度は自分の番だ」という恐怖に怯えていたのも仕方ない。幸い命だけは救われたものの、これまで積み上げてきた医師としての名誉と誇りは傷ついた。
それでも余生を送る幸運を恵まれたのだから、と自分を慰めながら、穏やかに暮らしていたのに、今度はガリェーチンを救えと言ってくるのだから、彼らの心情は複雑だっただろう。せめて治療が好ましい成果として現れれば気持ちも軽くなるはずだが、到底そんな未来がやって来るとは思えなかった。
そんな絶望的な日々の中で、法的には唯一の権利者である娘が治療の中止を求めてきてくれたことは、彼らにとってある意味救いのように感じられたのも仕方なかった。
また、患者の容態を考慮すれば、近日中に死が訪れるのは確実であり、どこまで治療を続けるかの線引きが必要になるが、その時がいつになるのかは医師であろうと分からない。見えないその瞬間を待ちながら、無用な治療で患者を苦しめるのも忍びない。たとえ、その患者から辛酸を嘗めさせられたとしてもだ。
それでも、側近たちは納得できないらしい。少なくとも、メリア以外は困惑と不満を表明しているような顔をしている。内心では、誰もが同じことを考えているのは明らかなのに。
「オリガ、今日じゃなくても良いじゃないか。せめてもう少し、あと二、三日待っても遅くないだろう? その間に、同志の容態も良くなるかもしれないじゃないか」
イワン・ルシコフが頬を震わせながら聞いてきた。ルシコフの言葉に、他のメンバーも大きく頷く。
しかし、オリガの意志は変わらなかった。
「本当に、三日くらいで父が良くなると信じてますか?」
彼女のこの言葉に、さすがのガリェーチン主義者たちもたじろいだ。
「私の決断は変わりませんが、先生たちは父の病状に関して、どうお考えですか? 良くなると断言できますか?」
オリガの問いに、医師団の代表格のような老外科医は遠慮がちにではあるものの、一つ一つ言葉に力をこめながら答え始めた。
「オリガさんの見解に、ほぼ間違いと言っていいでしょう。残念ながら、同志ガリェーチンの病状に、楽観視できる要素は何一つ見当たらないというのが事実です。このまま治療を継続しても、今の状態から変化が見えることは殆どないでしょう。きっと、そうですね……、かつてウラジーミル・イリインが倒れた時、それも二度目の発作が起きた当時の彼の病状に似ているようです。そのことを覚えていらっしゃる方もおられると思います。そして、同志イリインのその後についても記憶しておられるならば……」
ここでひと呼吸入れてから、こう続けた。
「近々同志ガリェーチンも同じことになるでしょう」
この言葉を聞くと、それまでは老外科医の周りにいて怯えるような顔をしていた医師たちも、同意するように自信を持って大きく頷いた。
専門家にはっきりそう言われては、政治局の面々も認めざるを得なかった。「それなら、もう……、本当に止めていいのかい?」
レヴィタンが念押ししてきた。
オリガの決断が揺らぐことは決してなかった。
ねえ、パパ。もう充分じゃない? 自由になりましょうよ、私たち。
亡くなった日の夜は、見事な満月の夜だった。
雲はなく、モスコヴァを頭上高くから照らし、この日だけはどんな秘密でも隠し通すことができないほど明るい夜だった。
こうして三月五日の午後九時五十分、ソヴォク社会主義共和国連邦最高指導者ディミトリ・ガリェーチン、つまりオリガ・ガリェーチナの父である男の、非凡で激動の、偉大過ぎる七四年の生涯は幕を閉じたのだった。


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