*この記事自体は2023年に書いていたものなんですが、はてさて、この先どうなることやら……(深~~~~~~~い溜め息)。
兄の影響で、洋楽には小学生の頃から聴くようになった。最初の頃は兄が聴いていたハードロック(エアロスミスは神)が多かったけれど、成長するにしたがって自我だの自意識だのという、厄介ではあるけれど思春期青春期には必要なものが肥大化してくると、自分の感性に合ったものを探して聴き漁るようになっていく。
そうした結果、今のものだけでなく古のロックやポップミュージックを知るようになり、おかげで聴く音楽の守備範囲は広がった一方、それに比例しているのか反比例しているのか知らないけど、もともとのへそ曲がりの性格はますます強化されていった、という良いのか悪いのか判断に困る結果になってしまった。
まー、当人はいたって楽しそうなので良いとは思うが(自分のことを、さも他人事のように言いやがって……)。
で、洋楽を聴く人であれば必ず目にする、とあるマークがありましてな。
アルバムの隅っこにちっこく、そのくせ何だか偉そうに目立っているあのマーク、そう『ペアレンタル・アドヴァイザリー』マークである。
あれは、
「子どもに聴かせるにはふさわしくない楽曲が含まれていますので、保護者の皆さんは購入にご注意ください」
という警告マークでして、何でも知ってるWikipedia先生によると、クリントン元大統領時代の副大統領として有名なアル・ゴアの元夫人ティッパー・ゴアが中心になって設立したPMRC(ペアレンタル・ミュージック・リソース・センター)の圧力によって出来た実質的な検閲制度で、アメリカで発売される音楽作品で暴力的だったり、性的に露骨な内容だったり、薬物犯罪に繋がる内容であると認められた場合、ででーん!とあの大層で目障りなラベルがつけられることになっている。
実際のところ、このペアレンタル・アドヴァイザリーの制度は大手のレコード会社が中心の業界制度でしかなく、インディーレーベルなどは対象になってなかったりするようだけど、それでも何かムカつく制度ではある。
でもこのラベル、ティッパー・ゴアたちの意図とは逆に、ティーンエイジャーには逆効果だったんじゃないかね? と個人的には思ってたりする。
だってな、かくいう私が、聴きたいと思っているアルバムにこのラベルが貼られていると、「品質保証」の意味で安心して買って聴いてたし、だいたいそういう曲ほど、全方位的に不満で不安で鬱屈したドロドロを抱えている思春期には救いのようなものが多かったので。
意図とは逆効果になっててごめんな、ティッパー。
というのを見ても、実は世界に冠たる民主主義国家アメリカは、某国もびっくりな検閲国家でもあったりする。
そして、今現在も検閲の波は進行中だったりもする。
ペン・アメリカという団体があって、このサイト(https://pen.org/)を見ると、アメリカで現在進行形で起きているヒステリックな禁書運動について知ることができる(日本語にも対応しているので、是非読んでほしい)。
最新の記事では、全米やフロリダで行われている「2023年発禁図書週間(!)」に対するベストセラー作家たち抗議の声を取り上げている。
……は?あのぅ、アメリカって民主主義の国ですよね?旧ソ連の、スターリン時代とかじゃあないわよね?
と驚き呆れるニュースなのだけど、中でも特に深刻な状況になっているのが学校図書の状況で、
『米国で発禁:学校で書籍を検閲する動きが拡大。』
という記事を読むと暗澹たる気持ちになってくる。
2021ー2022年の学年度で、学校の図書室から撤去された本のタイトルは1648冊にものぼり、その書籍の中にはノーベル文学賞作家のトニ・モリスン(代表作の『青い目がほしい』は毎年標的にされている)や、『侍女の物語』などで評価の高いマーガレット・アトウッドの作品が含まれていて、国民的な文学的遺産すら排除されようとしている。
主に禁書扱いされているのは、LGBTQなどの性的マイノリティや有色人種などのキャラクターや歴史を扱った本(フィクション、ノンフィクション問わず)や宗教的に不適切とされた内容(つまりは、ユダヤ教やイスラム教などキリスト教右派以外のもの)を含んだものばかり、つまり「ポリコレ的」とされた本が、「子どもに読ませるにはふさわしくない」という理由で学校図書から次々消えている。
確認しますけど、今、21世紀だわよね?
この禁書運動を主導して活動しているのは、いわゆる「白いアメリカ」(関係ないけど、エミネムに”ホワイト・アメリカ”って曲があるね)こそが正しく、キリスト教福音派を信仰していることが多い「母親」のグループが目につくらしい。
ああ、母親!
ティッパー・ゴアもそうだった。娘に買い与えたプリンスの『ダーリン・ニッキー』の歌詞に愕然として、PMRCを作ったんだった(でも、この場合はそうなるよな、という気持ちも分からんでもないが)。
何なんでしょうね、この母親の「我が子を正しく導かねばならない!」っていう恐ろしいまでの強迫観念は。
父親がこの手の使命感に目覚めた場合は、もっと高圧的で暴力的になることが多いイメージなので、口やかましいだけで済むだけいいのかもしれない。
でも、どっちにしろ親という連中が陥りがちな、「子ども」を自分の価値観に押し込めば間違いはない、という妄信ぶりはまさに「毒親」としか言いようがないんだが。
しかし、自分たちが理想とする「正しさ」が、21世紀の今ではもはや通用しなくなっているんだが、多分それが我慢ならないんだと思う。耳を塞ぎ、目を瞑ってないことにしようとしていることに、彼らの危機感の正体がどういうものか現れている。
すべてを一色に塗り潰したい、同じ姿の、同じ考えの、同じような人間だけの世界で生きていきたい。そういうことなんだろう。
それならいっそのこと、そういうコミューンでも作ってその中だけで生きていけばいいものを、どういうわけかこの手の狂信者は、自分たちこそが正しいと、他人にも認めさせようと躍起になる変な癖があるから迷惑極まりない。
全体主義が、右でも左でも、いちように教育に熱心であるのは、彼らからすれば、立派な理由がある。頭脳形成期こそ、勝負なのである。その期間にある種の空気を充分に吸わせておくと、あとは心配ない。これこそ真の、洗脳である。
塩野七生「全体主義について」 『サイレント・マイノリティ』(新潮文庫)所収
このような動きから見えてくる未来は、今のところ暗黒でしかない。
さあ、どう進むか。
もちろん、私としては「No!」と叫ぶしかないわけだけど。
“We’ve got a great percentage of our population that, to our great shame, either cannot or, equally unfortunate, will not read. And that portion of our public is growing. Those people are suckers for the demagogue.”
ウォルター・クロンカイト Walter Cronkite
(残念なことに、読書ができないか、あるいは同じように残念なことに読書をしようとしない人が、人口のかなりの割合を占めている。そしてその割合はますます増えている。そういう人々はデマゴーグのカモなのだ。)

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