昨年末、YouTubeのとある動画にて、
今年もたくさんめちゃくちゃ面白い動画をありがとうございました。 そして、いつか文学青年風のとんでもなくイケメンだった若い頃のヤゴーダをプリーズ!
とコメントしたところ、新年早々この動画で願いごとが叶ってしまって、この1年どう暮らせばいいのか少々困った次第でありました。
でもでも、ワタシの勝手な願望にお応えくださって、本当にありがたやありがたや。
もう死ぬまで同志月見にはついて行く所存であります(とんでもなく迷惑だと思う)。
また、この動画のコメントを見ていると、ヤゴーダのイケメンぶりに驚愕、困惑している方がちらほらいて、イケメン・ヤゴーダを布教できてワタクシとしても大満足でございます。
ヤゴーダは一番極端な例ではあるけれど、他の歴史的偉人の「人生ビフォア&アフター」もなかなか酷い(?)ので、色々見ていこう!
トップバッターは、「世界からナチスを救った」ウィンストン・チャーチル(スターリン、ルーズヴェルト、トルーマンが聞いたら逆上しそうだわね)。
名宰相チャーチルと言ったらコレでしょ、という1941年に撮影された67歳の時のポートレイト。

並外れた威厳とふてぶてしさが全身から発散していて、個人的にはめちゃめちゃ大好きな1枚であります。やっぱり政治家の見た目はこれくらい凄みがないとね。『唸るライオン』なんてタイトルもすごく気が利いている。
そして、かーなーり遡って21歳当時のチャーチル青年がこちらになります。

軽騎兵連隊に入隊した頃だそうで、それはそれは名門貴族の子弟らしい凜々しさと麗しさで、これを見れば伝統的にイギリス女性が軍人に弱いのも大いに納得というものでございますわね(ダイアナ元妃も愛人が軍人だった時期があるし)。
って、これがあれ(上)になるってすっげぇな!
あれのどこをどう探しても、煮ても焼いても食えない腹黒ジイさんの中にこの美青年の面影なんて見えないんですが?
やっぱあれか、第一次世界大戦のガリポリの戦いでやらかしまくって、後のトルコ建国の父、ムスタファ・ケマルから、
「よぉ~、ガリポリの肉屋~(笑)!」
って散々コケにされたせいで骨格から根性捻じ曲がったかね?
お次はヘルマン・ゲーリング。この人の場合、このシュッとしたイケメンが……

大食いとクスリでこうなっちゃったけど(ぽよぽよしてて触り心地良さそう)……

最後は、強制的な食事制限の結果こうなりましたとさ。

『レイジング・ブル』の時のロバート・デ・ニーロかよ、とツッコミたくなる変貌ぶり。
でも、ヤゴーダみたいな「もう修正不可能……」って感じの変化ではなくて、肉に埋もれた本体を発掘すれば元のシャープで整った顔立ちが出て来て、これを見るとニュルンベルク裁判で連合国側相手に立ち回るためにも元に戻って良かった……のだろうか?
そして、続きましてはオットー・フォン・ハプスブルク。
オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世の長男であり、世が世なら皇帝として即位していたかもしれず、同時にヒトラーにとって生涯にわたって不倶戴天の敵だった御方でございます。
そんな、ザ・プリンスなオットー氏の見た目タイムラインを辿っていきましょう。
まずは幼少時代のオットー君から。

まぁ~! なんて愛らしい男の子でしょう!
お父上に抱かれて幸福そうです。
続きまして、1930年代に撮影されたオットー少年がこちら。

完璧過ぎる貴公子ぶりに、自分には存在しないと思っていたワタシのショタ心が芽生えそうになってヤバかったでござんす……。
そして、青年時代のオットー氏。

ほんのりお父上の面影が漂っております。同じオーストリア出身なのにドイツで偉そうにしてる伍長(ヒトラー)と違い、自分の高貴で重みのある立場を自覚して振る舞っている人物像が画像からもうかがえますね。
そして、年月が流れまして49歳の時のオットー・フォン・ハプスブルク氏です、ドンッ!

お、おおう……。あの美少年がこうなるのかぁ。
男性ホルモンに関しては身分とか階級に関係なくカミサマは平等なのですね、という感想に留めておきます。
老年期を迎えたオットー・フォン・ハプスブルク氏はこうでありました。

時代に翻弄され波瀾万丈で苦しい時期もありながら、自分の責務と運命を生きた自信と誇りが滲み出たいいお顔をしています。
と、こんな風にビフォア&アフターが激しい人間もいれば、若い頃とほとんど印象が変わらない人も世の中にはいるもんで、清廉潔白(自称)なドイツ陸軍最高の頭脳であるマンシュタインの場合、これの元を辿っても……

これ(10代の頃)でござんすよ!

やはり清廉潔白なのか(いや、違う)。
おまけに父子(隣は息子さん)でこの出来映えでございますわよ!

何か女子的にはこう、手を合わせて拝みたくなるような美しい遺伝子の継承でありますわねぇ(眼福眼福)。
それなのに、パパの隣で笑っていたゲーロはこの写真が撮影された直後に戦死してしまいました。
んもぉぉぉぉぉぉぉ!! これだから戦争ってヤツは!(憤怒)
おまけ
この写真(マグショットは革命家の証明書)が撮影された時のレーニンが25歳だったと知った時の衝撃たるや!
実は生まれも育ちもブルジョワ貴族だったウラジーミル・イリイチ君ですが、遺伝子レベルから性来のプロレタリアートだったことがよく分かりますね(酷い)。

そんな師匠の頭髪プロレタリアートっぷりに比べて、ほぼ同じ年齢の時に撮られた(やっぱりマグショット)スターリンのイケメンぶりはなんだ!

子どもの時に罹った天然痘の影響で残った痘痕が見当たらないぞ!
貴様、やはり「赤いPhotoshop」でイジったな……!
でも、痘痕があったとしても基本男前だったんだろうよ、ちぇっ。
最後に、冒頭で話題に出したヤゴーダのビフォア&アフターはこうでした。
これの元を辿っていった時に見たものが……

これだったと知った時の驚愕と絶望よ……。ハンカチ噛んで泣きました。

ポーズを取るバージョンもあるよ。

マグショットなのに、誰に向けてんだよ?
って、ワタシか……。
ということで、以上、人生ビフォア&アフター残酷ショーでござんした。


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