ドジソン先生のお気に入り!

短編小説
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 ここは辺獄、つまり地獄の周辺である。
 死んだ人間が、諸般の事情により天国行きの許可が出るまでに時間がかかるような場合、天国の門が開かれるまで留め置かれる場所である。
 普通の善男善女であれば死後の裁きに遭ったところで、「まあ、それはそれだったからね、仕方ないよね」という感じで、審問官も生前の事情を汲んでやり、大岡裁きも呆れる大甘裁定で天国行きの許可を出してやることも少なくなかったりする。
 なので、この辺獄にいることになったような場合、即地獄行きというほどでの悪人ではないにせよ、生前の行いにおいて現世からの報告書に但し書きがつけられるような、ある種の要注意人物であることが多い。
 その証拠に、辺獄にはクセ者がやたら多かった。
 例として挙げると、無能なくせに何だか異常に幸運の女神に愛された、元帥にしてスターリンの飲み友クリメント・ヴォロシーロフや、どう考えても設定に無理があるのに何人もの女性相手に結婚詐欺ができてしまったジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐(純正日本人)なんかがいた。
 そういう曲者揃いの辺獄に、どういうわけだかこの人物もいた。
 現世ではチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンという本名より、筆名の「ルイス・キャロル」としての方が人口に膾炙したドジソン先生である。
 ドジソン先生の生前の功績を考えるなら、無条件に天国行きが決まるようなものと思うものだが、天国の責任監督者の目から見るとどうも違ったらしい。
 そんなドジソン先生、何やら落ち着かない様子で辺獄のあちこちを歩き回っている。どうやら何かを探しているようだが、実はドジソン先生、死んでここに来てからというもの、ある女性を一心不乱に探し続けていた。
 そんな彼の一途な思いが届いたのか、その女性、いやドジソン先生の思い人の少女は、幸運にも同じように辺獄にいた。
「ああっ、アリス! 君もここにいたんだね!」
 アリス。そう、あのアリスである。
 アリス・リデル。『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の主人公のモデルであり、永遠の少女の象徴アリス。
 我々が知っているアリスと言えば10歳に満たない幼い女の子であるが、今現れたのは見たところ17歳くらいの、それはもう花も恥じらう、匂い立つほどの娘盛りといった風情の乙女だった。
 その彼女が、どういうわけでこんな場所にいるかというのはさておき、ドジソン先生はアリスとの再会が実現して、ドジソン先生はそれまでの疲れや苦悩など、一気に霧消させてしまうほど歓喜に飛び上がったのも当然だった。
 だが、再会の喜びもそこそこに、ドジソン先生はアリスに向かって跪き、こんな言葉を彼女にかけた。
「アリス、もう心配いらないよ。僕たちは未来永劫一緒なんだ。ようやく僕たちは一緒になれる。さあ、これを受け取ってくれ給え」
 そう言うと、どこに隠していたのか指輪を取り出し、アリスの指に嵌めようと手に触れた。
 まあ、何ともロマンティックな光景である。夢見る乙女であれば、相手はともかくこのシチュエーションで胸いっぱいになるというものだ。
 しかし、この状況でアリスのとってもキュートな口から放たれたのは、ドジソン先生には到底思いも寄らない言葉だった。
「あぁん? 何クソ寝惚けたこと言ってんの、オヤジ? 数式解き過ぎて、頭湧いた?」 
 まるでジャパニーズ・ギャルそっくりな口調である。
 かつて一緒に遊び、楽しいお話を聞かせてやった、仲良しだったはずの自分に向かって、そんな口汚い言葉を使うなんて! これが、あの可愛いアリスなのか?
 ドジソン先生、驚きすぎて顔から血の気がまったくひいている。
 だが、ここで引き下がっては自分の愛は証明できぬ。死んでなお思い続けるほど、アリスをこんなに愛しているのだから、なんとしてでもこの思い、成就させねばならぬ。 すぐに何とか気を取り直し、もう一度愛の誓いを捧げた。「アリス、僕の君への愛は真実なんだ。僕は自分の生涯を、純潔を、君に捧げたほど、君を心から愛しているんだ……」
 しかし、アリスの態度は変わらなかった。それどころか、ドジソン先生を見下ろす瞳には、軽蔑とか嘲笑とか貶みとか冷酷といった負の感情ばかりが浮かんでいて、その中に憐れみの色が見えないのということが、先生へのアリスの心情を表していた。
 アリスはドジソン先生に、次のように言い放った。
「ああっ! あんたさぁ、アタシがいつまでもあんたを慕ってるとか思ってたわけ? そりゃあ、あんたのことは嫌いじゃなかったよ。でも、あん時のアタシは、な~んも知らないガキだったから、よく遊んで相手してくれてるあんたを好き! とか言ってたけど、大きくなったらあんただけを見てるわけないじゃん。男はあんただけじゃなし。ていうか、萎びたオッサンよりカッコいい男の子の方が一緒にいて楽しいに決まってるんですけど? オヤジ、そんなことも分かんないくらい世間知らずってか?」
「こんな……、僕のアリスはこんなことは言わない……。僕の、僕の……アリスは……」
「あーのーねー! キャロルのおじさん! 人間は変わるのよ? ガキだったアタシが成長して、変わっていくのは自然の摂理でしょう? 学者先生ならそれくらい分かってるんじゃないの?」
「僕のアリスは……こんな風にならないはずだっ!」
「僕の、僕のって、あんたさぁ……。ケンブリッジのご立派なおつむをお持ちかもしれないけどね、あんたの頭は世間じゃまったく訳に立たないわよ。だいたいね、アタシだって人間! 人の女なの! アタシが自分の理想の女の子のままでいてほしいって夢見るのは勝手だけどね、そんなのは寝床の中でマスかく時のオカズだけにしておいてくんない? それくらいならいくらしようと無害なんだから。ホントは胃の中全部吐きたくなるくらいキモいけどさ、まあそれくらいなら許せるわよ。でもね! この、現実のアタシを、あんたのクソ狭い小さい理想なんかに押し込めないで頂戴よね!」
 そんなやりとりの最中だった。遠くから「アリスー!」と彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
 二人が声のする方向に目を向けると、背の高い口ひげをたくわえた男が近づいてきていた。
 男はアリスのそばにやってくると、ドジソン先生をさっと一瞥したが、さして興味も持たなかったらしく、すぐアリスに向き直り肩を抱き寄せた。
「アリス、随分探したよ」
「ごめんなさいね、バーティ。何か掴まっちゃって」
 ドジソン先生はバーティと呼ばれた男を見ると、これまた驚いた。
 男は、ヴィクトリア女王の不肖の息子だった。ドジソン先生存命中はスキャンダルまみれの放蕩息子としての方が有名で、後にエドワード7世となり「ピースメーカー」として名を残すのは先生の死後だが、そんなことは今はどうでもよい。
 何で僕の可愛いアリスと? 
 しかし、ドジソン先生の困惑など構わず、二人はいちゃいちゃし始めていた。
「もう話は終わったのかい?」
「うん。最初から終わってたような話だったからね。もうこれで完全に終わり! さあ、何があったの? 面白いこと? それともドキドキすること?」
「どっちもあるよ」
「それいいね! さあ、行きましょう!」
 アリスが背伸びしてバーティの頬にキスをした後、二人は仲良く手を繋ぐと大作家ルイス・キャロルなど気にすることなく遠ざかっていった。
 その愛に溢れる後ろ姿を、ルイス・キャロルはただ呆然と見ているしかできなかったのだった。

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