ニッポン放送には名物長寿番組『テレフォン人生相談』というのがありますが、聴いてるかい?(ここで聞くこと自体間違ってる)。
月曜から金曜(局によっては土曜も。って私がよく聞く放送局は土曜も放送してるから、全国どこも同じだと思ってました)、種々様々な悩みを抱えた相談者に回答者が懇切丁寧に答えるという、まーよくある番組である。
私自身は都合がつく時だけ聞いているって具合なんだが、それでも毎回毎回聞いてるだけで胃もたれしそうに濃厚な内容で大変楽しい。
なんてことを言うと、「何て意地の悪い人間なんだろう」と思われそうだけど(実際人は悪いがな)、「人の不幸は蜜の味」という面白さもあるんだろうが、他人の悩みをきっかけにして自分を客観視することが出来るから、実は人の人生相談は大変意義のある啓蒙的なものだ。ということにしておく。
……うむ、やっぱり無理があるか。
しかし、時代が変わろうと、科学技術がいくら発達しようと、どれだけ価値観が立派になろうと、しょせん人間は人間であります。
考えることやることが全然進化しない。
いつでもいつまでも、昔も今も悩むことは似ているものだ。
さて、『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』という本がありましてね、発行年月日は「1997年3月5日」とあって、私は図書館で読んだ(読んでいる)。多分、今では絶版だと思われる。
この本を簡単に説明すると、明治から大正時代に新聞等で掲載されていた人生相談、それも主に女性読者からの相談をまとめた本(まー、タイトル見りゃあ分かるわな)。
今でも、新聞やラジオの人生相談の相談者の大半は女の人という印象が強い。
基本的に、女は自分の悩みを誰かに聞いて欲しいと思っている生き物らしいのね。
でも、こうやって自分のしんどさを人に言えるって健康なんですけどね。
人に甘えられない、甘えちゃいけないと思っている人の方がよほど危険で、強そうに見えた人ほど、いきなりこの世から消えたりしてるからね。
適当に愚痴をこぼすのも大切でありますのよ。
んで、肝心のこの本に収録されている相談は、「恋愛」「結婚」「人間関係」「生活全般」「人生」、と現代ニッポンにも引けを取らない何ともバラエティに富んだ内容になっている。
「コーヒーを美味しく淹れるにはどうしたらいいですか?」、「サンドイッチに挟む、美味しくて安いものはありますか?」という気楽でタメなるお悩みから、「女学校に行った娘がテニスをやるって言い始めたけど、テニスって何ですか?」、「都会の人は瞼に青いものを縫ってると聞きましたが、あれはなんでございましょう?」という時代を感じる質問、果ては「結婚しろって両親がうるさい」など、今とそんなに変わんないねーってものまで幅広い。
中には、
「雑誌に和歌を投稿したら、それを見た女の人から和歌を褒めてくれる手紙をもらったので、嬉しくて文通してたんだけど、相手が実は男だった」
なんていう、大正時代にもそんな奴がいたんだぁ~という相談もある。
他にも、
「結婚している二十四歳の人妻だけど、夫婦仲が上手くいかないから気晴らしに女優をしている。そんな状況なのに良人は女遊びをやめるどころか、私の妹にまで手を出そうとしてる」(気晴らしに女優が出来る境遇よ)、
「引っ越ししたら体の調子が悪くなった。多分、近所の人が私を呪っている」(被害妄想が凄い)、
または、
「東京に遊びに行って田舎に帰ってからというもの、気が塞いでしょうがない」
と都会への憧れに悩む娘さんがいたり、はたまた、
「姉に来た縁談の条件が良すぎて、大した美人じゃない姉には荷が重かろう。妹として心配だ」
とかいう、姉を心配してるフリしてただ単に公の場でブスなのをバカにしてるだけという、うっさい、ほっとけや! な相談、果ては、
「ちょくちょく顔を合わせる男から好意を寄せられ、会うたびに一緒になれと言われて困っている」
という大正時代のストーカー男の事例とかもあったりする。
かと思えば、
「結婚した妻が処女じゃなかった……」
とぐちぐち長文で相談してくる男もいた。
妻からその事実を聞かされたわけでなくて、何かのきっかけでそのことを知ったらしいんだが、この人の手紙が身を捩るほど真剣で切実で、その苦悩たるや純文学も裸足で逃げ出す絶望っぷりで、やたら滅法面白い(鬼)。
あまりに長いのでさすがに全文引用はしないけど、
「結婚前既に相愛の人があったのなら、こんな結婚はするのではなかった。自分は初恋の経験もなしにお前を娶ったのに、お前は真面目な顔をして来たのだ。自分より先に愛する人があり、自分より先にその手に、その唇に、熱い心をうけていた人があったのだ。処女であり童貞であるところの清い心と心とがはじめて一緒になってこそ、お互いに幸福なのだ。」
だの(迫真の心理描写よ)、
「私はいく度離縁しようと思ったかわかりません。しかし私は元来結婚は神の力に依るものであって人間わざではない。軽率に離縁できるものでないとまで感じたこともあり、且つ徳義上から離縁は苦痛です。逡巡したします。なぜ妻自ら進んで、懺悔して、過去の罪を告白して、許しを乞わなかったのであろうか。なぜこんな無関心でいるのだろう。どうして秘密にしたのであろうか、とその心根を憎まずにはいられません。」
と回答者に対して、自らの苦しみを切々と訴えている。
手紙の〆がまたスゴい。
「放縦無責任で、好淫性に富める男子(女子にも多情な者あり)の振る舞いのために幾多の女性を苦しめ、かつ社会の風俗を紊乱する裏に、かかる悲痛なる叫びをしつつ、世を呪い、我が身の不運さを嘆く青年のあることを社会に告げ、もって青年男女の参考ともなれば幸甚です。」
ときたもんだ。
この相談に対して、きっと同性だろう回答者も感情移入しまくりで、
「お手紙ご同情をもって拝見しました。いかにも青春の情熱のこもった真摯さには、思わず襟を正さずにはいられませんでした。」
から始まって、
「今日のように童貞を失った青年男子の多い世の中に、あなたのように厳粛にこれを守りおおせた青年のあることを、このうえもなく力強いことに思います。」
と続いて、相談者の純真さを賞賛し、傷ついた心に共感し、彼の思いに寄り添い、励ましの言葉が縷々綴られるんだけど、ことはこれだけで終わらなかった。
後日、
『時代の生んだ貞操の負傷者に同情す』
なんてタイトルの意見が掲載されるほど、世間に反響を(特に男子に)与えたらしい。貞操問題は、いつの世も世間の関心が大きいみたいね。
って、「貞操の負傷者」という響きびの重さが怖い……。
また、当時の常識というか一般に信じられていた言い伝えで悩んでいる人もいて、
「乳房に毛があると妊娠できないって本当ですか?」
なんて相談が二つもある!
乳房に毛……。
よく聞かれていたのか、回答者は「迷信ですよ」と即答、断言している。
と、こんな感じで今読んでもめっちゃくちゃ面白いので、いくつか紹介していきます。
ひとつ目はこちらの方から。
Q:十八歳の一人の妹が先頃から身体が悪くなり、一人でくよくよ考えてばかりいる様子ですから、その親友に頼んで心の中を聞いてもらいますと、某俳優の家に行きたいと申します。妹は末の子で早くに母に別れましたし、とかく不健康の方ですから好きなまま芝居へも月々やっておりましたのです。しかるに、かような有り様ゆえそれとなく父に相談しますと、末の子ゆえ手離しはできぬと申します。けれどこのままでは日に日に痩せ衰えていくばかりでございます。(下谷、千代女/都新聞・大正3年4月11日)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
この相談に対して回答者は、
「甘やかすのもほどほどになさいよ。まずは妹の身体を丈夫にしたら?」
と答えている(さすがにこんな軽い調子ではない)。
今なら、推しへの愛が昂じてストーカーになるタイプのお嬢さんって感じだろうか?
お次はこちら。
Q:十九歳の時近所に棲んでいた方と交際するようになりましたが、別に何の約束もいたしません。その後この人が結婚申し込みをしたことがありましたが、その時は笑って断っていました。その方の家はその後親の勤め先の都合で遠くへ移転してあまり消息も聞きませんでしたが、このほど私の従姉と来年の卒業を待って結婚するとかいう話です。私にとっては何だか面当てのような思えますし、今になって見ればその時約束だけしておけばよかったという気もあって、日々複雑な感情に追われています。さりとて、今さら先方に私の心持ちを言いやる気もなし。従姉でない人と結婚させたい気がしますが、私の立場としてはどうすることもできないのでしょうか。(本所、まつ/都新聞・大正7年12月12日)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
自分を振った男には「見返してやる!」と、固い覚悟であいつよりイイ男を絶対掴まえてやろうとリベンジに燃えるし、自分が振った男が他の女と幸せになると聞けば(前は全然そんな気もなかったのに)、せっかくの獲物が取られた気がして悔しくて仕方ない。
オンナゴコロは複雑でありますなぁ(と言ってるワタシも女だが)。
って感じで、さあ、次行ってみよう!
Q:決して色の恋のというわけ合いからではありません。私は後々のことを考えた後、ある方と末の約束をいたしたのです。その方は今学校におられるのですから、ただそれだけで身も汚されていなければ、面倒なこともないのです。この方がせんだって、金が少々入用だからということでお立て替えしました。ところがそのまま今に行方が知れなくなったのです。私はその金のことなどはどうとも思っていませんが、実はこのような場合に兄が良縁があるからと種々申すのです。それゆえ、日々心を痛めておる次第であります。記者様私は今追い分けに立っているようなものです。どの道をとったらよろしいでしょうか。
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
(神田、一女/都新聞・大正2年7月7日)
多分、これを読んだ人間の9割9分は、「あー、これ金目当てで近づいたヤツだよなー」と思うんだが、相談者は、
「お金じゃないの、あの人のことが心配なの」
と、初心なのかバカなのかよく分からない乙女ゴコロを爆発させている。
そんなぼんやりさんな相談者に対して、回答者はビシッと現実の厳しさを教える。
「お約束なすった方はあなたの信じなすっている程は真面目な人ではない。ただ金ほしさの人のように思われます。」
でも、似たような話は21世紀になっても起きてるので、未来の人間がこの人を笑う資格はないね。
と、この調子でお次の方どうぞー。
Q:品行方正にして必ず男を知らざる女、月経不順の後、腹部は妊娠四ヵ月ぐらいに膨れました。いかなる道理でありますか。何とぞ七月の誌上にてお答えを乞う。(十七歳女/女學世界・明治39年7月号)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
相談者の真剣さが文面からも伝わる内容である。
「処女」という二文字で済む言葉を、
「品行方正にして必ず男を知らざる女」
と書くのが、もうたまらん。
でも、何もしてないのに生理は来ない、腹は膨れる……。そりゃ恐ろしいことこの上ない。本人の心情的にも、世間的にも。
「お答えを乞う」
という〆の言葉が何だか刃物のように迫ってきて、適当に答えようものならマジで刺されそうな雰囲気さえ漂っている。
それなのに、回答のおっさん(多分)の回答は、
「それだけでどうのなんて、当方医者じゃないから分かんないから、多分病気だと思うので病院行ってきなさい」
と素っ気ない。
そりゃあ、医学のシロウトが言えることなんてたかが知れてるし、これ以上何が言えるかってものだけど、もう少し親身になって答えてくれてもいいじゃないのよぅ。
まあ、気を取り直してもういっちょ。
Q:ちょいと伺います。私は非常にハイカラが好きですが、この上どのようにしたら極上々のハイカラになれましょうか。しかし品の悪いことは嫌いです。何とぞご指南ください。(赤坂、千代春/都新聞・明治42年9月3日)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
まず書き出しから素晴らしい!
「ちょいと伺います」。
もうこれだけで充分この人がハイカラなことが分かるのに、今以上に、そう「極上々のハイカラ」になりたいと願う、その心意気が女子である。同じ女子として、見上げたものだと感嘆する。
それなのに、回答者のおっさん(絶対そう)は、ハイカラがハイカラー、つまり襟が高い服装(つまり西洋かぶれ)からきていることから始め、そんな流行りにほいほい乗っかるような軽薄さを諫めている。
何たって「ハイカラという言葉さえ嫌いです」とまで言い切っている御仁である。令和最新版の価値観に則れば、こんな「老害ジジイ」の説教なんぞ誰も聞かないが、時代を知る資料としてはやはり面白い。そして、今が「うっせーよ、ジジイ」と言えば済む時代で良かったとしみじみ思う。
とか言ってると、こんな娘さんも存在した。
Q:親戚の二十歳になる娘は虚栄心に固まった人間で、自分の身を売っても着物を着たいとて、ただ今口を探しています。親戚や兄達もあきれて手をつけず、当人のするがままにさせるとて一向構いません。私もその娘に意見しようと思いますと、当人が聞き入れぬから捨ておいてくれと、兄や親戚が言うのにあきれます。みすみす娘が魔道に入るのを見ながら高みの見物もしれおられませぬ。この際娘のために取るべき方法をお教えください。
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
(浅草、心配生/都新聞・大正2年9月7日)
他人からすれば、はー、いつの世もこういう女子はいたのねーってなもんだけど、身内ともなればさすがに放ってはおけないのは人の心というもの。それなのに、親兄弟は「こんなバカにつける薬はない」とでもいうように見放している。親身になって心配しているこの叔母さんが不憫極まりない。
そんな相談者に対して回答者が、
「とんでもない不料簡な娘があったものです。」
と一緒になって怒るのも致し方ない。
でも、
「そしてあなたが手を尽くすことができるものなら、一肌脱がるるがよい。」
って何言ってるのかよく分からないです。
と、こんな風に自分勝手でワガママな娘さんがいれば、自分勝手でワガママな男もいる。
お次のヤツはこちら。
Q:私は三年前国元で妻をめとりましたが三ヶ月ばかりで働かなくなったので、嫌になり実家に返したところ、子供ができたので戻しました。しかしどうしても気に入らぬので二年前親元に頼んで自分は上京しそのままとなっていますが、離婚すると言っても親と親とが許さず、ために子供もどっち付かずになっていますが、離婚すれば金を出さなければなりませんか。
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
(府下、良/都新聞・大正5年10月30日)
何だコイツ(怒)、と思ったのは回答者も同じだったようで、
「あなたはいったい妻というものをどう見ているのです。お手紙を読んでみた記者は人格を無視し、かつ妻を奴隷さては器械と同様に思っておられるようにしか思われませぬ。」
と怒りを露わにして説教している。そりゃあ、そうよ。
だいたい三ヵ月で働かなくなったって言ってるけど、その後すぐ子供生まれたんだからそこら辺のことくらい分かるだろうよって思うんだが、自分のことしか考えてないこの男に、そういう細やかな変化なんて分かるはずもなかった。
乙女の皆さん、こういう男、マジで存在するのでお気をつけいただきたい。
ちょっと心がささくれてきたので、こんな間抜けなお悩みなんかも。
Q:朝飯がまずくて困りますが、何かこれに代えるものはないでしょうか。(深川、花井/都新聞・大正7年6月22)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
じゃあ、昼飯とか夕飯は美味いのかよと突っ込みたくなるが、
「それなら牛乳にパンとか、それも食べたくないというならバナナというのもありますよ」
と丁寧に答えている。
まー、何も深刻で辛気くさいだけが人生じゃないんだから、こんなすっとこどっこいな質問もたまには良いものよね。
ここまで長々と書いてきたが、最後にひとつ、このお悩みを紹介して終わりにしよう。
Q:私は必ずあるべき部分の毛が、ほとんど生えていないのでひとりなやんでいます。毛生えの良法はないものでしょうか。また売薬の毛生え薬はききましょうか。(愛読者/主婦之友・大正9年3月号)
『お悩み相談 ~ああ、わたしって可哀相~』ネスコ編(文藝春秋)
「必ずあるべき部分の毛」……とは、どこを指しているのだろう?
あそこか? それとも、あの部分だろうか?
このように、乙女の悩みは世界が滅ぶまで、いや、世界が滅ぼうとも存在しそうである。
しかし、それを軽薄とか通俗と言うなかれ。
このたくましさこそが女子の生命力の源泉なのだから。
そして、これがあるから人間は存在できているのだよ。
いいかね、男子諸君。


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