デヴィッド・フィンチャーといえば、『セブン』や『ゴーン・ガール』などのヒット映画の監督として有名な人だけど(監督デビュー作の『エイリアン4』は興行的に失敗したってことで無視されがちだけど、私は駄作なイメージないなぁ)、映画監督になる前はミュージックビデオの監督だった。
マドンナの♪Vogueを手がけたことは有名なので知ってる人も多いでしょうけど、実はエアロスミスの♪Janie’s Got A GunのMVもフィンチャーが手がけていた、ということを最近知って驚いた。
♪Janie’s Got A Gunは、父親に酷いことをされているジェイニーが、銃を手に入れて(Janie’s got a gun)父親から解放される、という児童虐待について歌った曲。
スザンヌ・ヴェガの♪Lukaも児童虐待を取り上げた曲として、これまた超有名な曲なわけだけど、
♪Lukaのルカは親から受けている暴力にひたすら耐え忍んでいるのに対して、♪Janie’s Got A Gunのジェイニーは、自分を守るために銃を手に入れて父親に抵抗する。
多分ルカは、まだ自分を守る術を知らない、持てないまだまだ小さい子どもという設定なんだと思う。だからパパが、もしくはママが自分を傷つけてきても我慢するしかない。でも、ジェイニーは思春期の女の子で、自分を痛めつけてきて、自尊心をズタズタにされていることに、怒りを感じているし、いくら親であっても許せないと思うくらいに成長している。だからこそ、何処かからか銃を手に入れて、父親に立ち向かえるわけだ。
この曲が出来るきっかけになったのは、スティーヴン・タイラーが子どもの虐待について書かれた、ニューズウィーク誌の記事を読んだことだったという。
でも、曲ではジェイニーが父親にされていることは何なのか、はっきりとは示されていない。心理的に追い詰められているのか、それとも身体的に痛めつけられているのか、そこら辺は巧妙にぼかされている。もしかしたら、聴き手の想像力を喚起しようとして、特定の行為を上げることはわざと避けたのかもしれない。
それでも、エアロスミスの素晴らしいソングライティングと演奏と歌で、この曲て響いているジェイニーの悲痛な叫びは充分に伝わってくる。
それでも、まるで映画のような作品に仕上がったミュージックビデオが、より曲の理解を深めるのを助けてくれるのは間違いない。
登場人物は、郊外に住む裕福な家族。父親と母親、そして思春期の美しい娘、ジェイニーの三人家族。プールサイドで横になっている彼らを、日差しが燦々と照らしている。何不自由ない暮らしをしている彼らは、外からは仲が良くて幸福を体現したような家族のように見える。
しかし、夫と娘を見る母親の目には、不安の色が覗いている。
母は、夫は深夜に娘の部屋に入っていくのを知っていて、娘の部屋で何が起きているのか、暗い予感を感じている。しかし、彼女は夫にも、娘にも、自分が思っていることを口にすることはない。というか、出来ない。もし、想像していることが現実だった場合、その恐ろしい事実と向き合う勇気がないからだ。
ジェイニーの方も、母が父の行動に気づいていることを薄々知っている。そして、この地獄から助けて欲しいと、声に出さずにSOSを出している。
でも、母親は何もしてくれない。夫が娘の部屋に入ろうとしている場面を目にしても、視線で咎めていても、それだけ。ジェイニーを守る行動は何一つ起こしてくれない。
深夜、ドアをノックする音に怯える日々、自分を物のように扱う父親。自分の苦しさを無視する母親。
ジェイニーはもう何も知らない子どもではない。父親が自分にしている行為の意味を知っている年齢になっている。
ささやななえに『凍りついた瞳』という、様々な児童虐待を描いた漫画がある。この中に、実父から性的虐待を受けたことで精神的に不安定になってしまった女の子のエピソードがあるのだけど、彼女が家の中で置かれた状況がまさにジェイニーとそっくりだった。
ジェイニーと違って、この女の子は、
「お父さんが変なことをしてくる」
と勇気を出して母親に告げるのだけど、この時母親は「そんな嘘をつかないで」と娘の話を否定してしまう。
しかし、その後偶然母は現場を見てしまい、さすがに夫とは別れる。そして、娘の言葉を信じず、守ってやれなかった自分を責める。
とはいえ、いくら母が自分を責め、父と離れただけで娘の心が癒えるわけがない。手首につけられた無数の傷が、彼女の負った傷の深さを物語っている。
特にこの場合、彼女が物心つく前から父の行為が始まっていたことがほのめかされていている。その上、父が口止めのために娘に語ってきた甘言が彼女の心を縛ってきた。だからこそ、長年信じてきた父の行為は、実は愛情なんかじゃなかった、と知った時の苦しさや絶望は如何ほどのものだったか。
そのせいで、彼女は自分は汚れた存在なんだ、生きている価値のない人間なんだと自分を責め、呪ってしまう。決して、決して、彼女に落ち度はないのに、罪を背負ったのは自分だと思い込み、自分を消してしまいたいと願ってしまう。
また、実はジェイニーと同じ境遇を現実に生きることになった女性がいたのである。
名前は、マリリン・ヴァン・ダーバー。
1958年のミス・アメリカに選ばれた女性である。
マリリンが生まれたヴァン・ダーバー家は、デンヴァーでも有数の名家で、父親のフランシス・S・ヴァン・ダーバーは経営者として優れているだけでなく、熱心な慈善家でもあり、地域から尊敬される名士だった。
彼には妻との間には四人の娘がいて、マリリンは末っ子で、、美しい少女で、一番の努力家だった。
19歳の時にミス・コロラドに選ばれた翌年にミス・アメリカに出場し、見事に優勝。それからは大学の学業に励みながら、ミス・アメリカとしての活動し、大学卒業後もAT&Tのスポークスウーマンとして精力的にテレビ出演をこなしていた。
それから30数年後、再びマリリンに注目が集まる。
デンヴァーに、小児科医であり、世界的に児童虐待の研究者として有名なC・ヘンリー・ケンプの名を冠したケンプ・ナショナル・センターがある。そこで1991年5月に講演者として登壇したマリリンが口にしたことは、あまりにもショッキングなことだった。
子ども時代から父に性的虐待を受けていた、という告白であり、また同時に父に対する告発だった。
アメリカの夢と理想を体現したような家族に、そんなおぞましいことが起きていたことに全米が衝撃を受けた。しかし、一方でこんな声も上がった。
「昔のような注目を浴びたくて、嘘をついているだけだろう」と。
今でも、性的被害の被害者に似たような言葉が浴びせられるけど、そんな悪意ある声は、マリリンの一番上の姉グウェンがインタビューで、
「自分も父から性的虐待を受けていた」
と証言してくれたおかげで否定された。
マリリンは、自分が父親からされていることを二十四歳になるまで忘れていた。そのことが彼女の告白に疑念を抱かせる要因になったわけだけど、次の文章を読めば、大人でもどう受け止めて良いのか混乱するような恐ろしい経験にどんなに頑張って対処しようとしたか理解できるのではないか。
近親姦その他の望まないセックスは子供がひた隠しにする秘密である。どういうわけか子供たちは、何も言われなくても、こうしたことを口にしてはならないと知っている。グウェン。ヴァン・ダーバーは父親に脅されたり命令されたりはしなかったが、自分で自分に沈黙を課したようだ。
『記憶を消す子供たち』レノア・テア/吉田利子訳(草思社)より
子供時代の近親姦は、思い出すのがもっとも困難な体験なひとつである。近親姦はとりわけ屈辱的で、忠誠心に激しい葛藤を生じさせる。しかも、予想ができる。幼い被害者は、これからも近親姦が怒ることを知っている。なにしろ加害者はいつでも子供に近づける。子供は予想する。少女は自己催眠をかけるかもしれない。たとえば天井のしみを数えたり、祈祷の言葉をくりかえしたりする。また、解離するために、別の場面を想像するかもしれない。分裂を起こす場合もあるだろう。子供は来るべきものに備える。愛する誰かがまたも自分を過度に刺激し怯えさせる、という思いに耐えられない。自分の対応にも耐えられない。
『記憶を消す子供たち』レノア・テア/吉田利子訳(草思社)より
夫が娘たちに対してしていたことを、妻は知っていたか否か。
フランシスの妻(マリリンたちの母)のグウェンドリンは、「知らなかった」と言う。娘の一人は、父がピアノを弾き始めると、この後に何が起きるか予想できていたにもかかわらずだ。
大人になったマリリンは、心から愛し、また自分を愛してくれる人と結婚し、父から離れることが出来た。しかし、それは表面的な別離でしかなく、どんなに安心できる環境にいても、彼女の中に子ども(しかも、「昼の子供」と「夜の子供」に分離している)は時が止まったままだった。
そしてマリリンと同様、ジェイニーにとっても、安全で安心できるはずの自分の家、それも自分の部屋が地獄だった。
それでも、ジェイニーはある面で恵まれていたのかもしれない。地獄から逃れるための、自分を解放してあげるための銃を手に入れることが出来たのだから。
どんな銃でも良かった。とにかく、自分自身を地獄から解放してやるには、一発の銃弾で充分だった。
そして、銃を手に入れたジェイニーは行動を起こす。
深夜、自室にいる父に向けて引き金を引く。血を流して倒れる父。彼をそのままにして、ジェイニーは家を飛び出す。
逃げろ、逃げろ。遠くへ、地獄からもっと遠くへ。
しかし、ジェイニーの家には警察が来て、”犯人”のジェイニーを捜し周る。
やがて彼女は捕まってしまう。
でも、それでもジェイニーの心は救われたと言っていいだろう。
もう、あの地獄には二度と戻らなくてもいいのだから。
優れたアーティストは、語ることが難しい立場にいる人たちの声を聞き取る感受性に恵まれた人たちだ。そして、彼らの言葉や思いを自分の表現で代わりに語ることが出来る存在でもある。
「楽しければ良いじゃん、気持ち良ければそれで良いよ」
という姿勢とは別の、創作の役割があることを♪Janie’s Got A Gunが教えてくれたと思っている。
ちなみに、スティーヴン・タイラーは虐待された子どものための基金『Janie’s Fund』を設立している。


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