思春期はガラスの靴で綱渡りする季節

人は奇っ怪、世は不可解
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 1954年6月22日午後3時30分。ニュージーランドのクライストチャーチ。ヴィクトリア・パークのそばにある喫茶店に、二人の少女が取り乱しながらやって来た。
「誰か、助けて!」
「ママが怪我をしたの! 酷い怪我で、死んでるの!」
 店のマネージャーの夫がヴィクトリア・パークを捜索すると、年配の女性が倒れているのを発見したが、この時既に女性は亡くなっていた。
 その女性は、喫茶店に来た少女の一人、16歳のポーリーン・イヴォンヌ・パーカーの母親オノラだった。
 その後少女たちは顔についた血を洗い流し、迎えに来たもう一人の少女、15歳のジュリエット・マリオン・ヒュームの父ヘンリーと共に帰宅する。
 しかしその日の夜、ポーリーン・イヴォンヌ・リーパーは母オノラを殺害した容疑で逮捕される。
 そして後日、ジュリエット・マリオン・ヒュームも、ポーリーンと同じ容疑で逮捕されることになる。

 この事件(パーカー/ヒューム事件)は、ピーター・ジャクソン監督が『乙女の祈り』(原題『Heavenly creatures』)として映画化していて、個人的に大好きな映画の1つ(実録犯罪ものが大好物なの)。

 思春期の女の子二人が、自分たちが作り上げた空想の世界に夢中になる一方、その関係を危険視した親たちが引き離そうとする。そのことに反発して、一方の母親を殺害してしまうというストーリーは、当時自分自身はそんな状況ではなかったんだけどどこか共感できる部分もあって、他人事とはまったく思えなかった覚えがある。
 ちなみに映画でジュリエットを演じたのは、この直後に『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオと共演し、世界的スターとして飛躍することになるケイト・ウィンスレットだったりします(当時も素敵な女優さんだとは思ってたけど、まさかあんなデカい存在になるとは思わんかった)。
 ケイト・ウィンスレットのナイスな眉毛の角度とか、ポーリーン役のメラニー・リンスキーの目に映るもの皆ムカつくって感じのキュートなふくれっ面とか、学校の制服とか、乙女心をくすぐるものも沢山あって、これまた素敵な映画なんです。
 が、しかし。
 これは現実に起きた殺人事件をもとにした映画なので、事実は映画ほどに綺麗にはまとまってない。
 映画は、主にポーリーンとジュリエットの関係に焦点を当てているので(そりゃ主役ですからね)、この二人が実際にどういう環境の中で生きていたかについての部分は、一応描かれてはいるけど二人の空想世界ほどには深く触れられていない。というか、二人の家庭環境まで描くとめちゃめちゃややこしくなるので、映画はあれで正解だと思う。多すぎず少なすぎずのあの程よい塩梅が、映画を良作にした気がする。
 でもね、事実は小説よりも奇なりというか、描かれなかった事実の重さというのもあるもので、これからそれについて語っていきたい。
 ですが、めっちゃくちゃ重くてしんどい話を、特に思春期のお子さんを持つ親御さんにとってはかなりショッキングな内容を書くので、しんどいと感じたら無理せず読むのを止めて構いません。
  
 ポーリーンとジュリエットが出会ったのは、クライストチャーチの女子校にジュリエットが転校してきて同じクラスになったことがきっかけだった。
 当初は二人の間にはさほど交流もなかったようだが、しばらくするとジュリエットが母のヒルダに、
「ママ! 私やっと自分と同じくらい強い意志を持った人に出会えたの!」
 と報告する友人が出来て、それがポーリーンだった。
 クライストチャーチの労働者階級の子ども(ポーリーン)と、物理学者の父と英国国教会の牧師の娘で社交界で名の知れた存在だった母を持つ、イギリス出身の上品なインテリ家庭の子ども(ジュリエット)。その家庭環境は正反対と言って良かったが、二人の生育歴は奇妙に似通っていた。
 ポーリーンもジュリエットも、物心ついた頃から病気によって身体が自由にならない経験をしている。もともと感受性が鋭いからそうなるのか、それとも、思うように動くことができないストレスを想像力で癒そうとするのかは知らないが、二人とも現実とは違う独自の空想世界を作ることに長ける。
 そのような変わった感性を周囲がおいそれと理解できるわけもなく、ポーリーンはジュリエットと出会うまでは、友人と呼べる存在とは無縁だったらしい。また、ジュリエットも病気の療養のため、ニュージーランドに来るまでは家族と離れてバハマ諸島で暮らしていることから、安心して信頼出来る人がいなかったかもしれない。つまり、二人とも心のどこかに孤独感や疎外感を抱いていた可能性がある。
 そんな寂しさを抱え、自分を理解してくれる誰かを欲していた少女たちにとって、その出会いは奇跡のような幸運だっただろう。
 自分を理解するように相手のことが分かり、自分が欲したように相手は自分を信頼してくれる。
 素敵と感じるもの、楽しいと思えるもの、夢見るもの、すべてが自分と同じ。彼女が考えることだって、テレパシーで通じてるみたいにすぐ分かる。他人だなんて信じられない。私たちってまるで双子みたいよね! 
 そう思ったのも、あの年頃の、まして夢見がちな女の子であれば当然だと思う。そして、これだけであれば、思春期によくある微笑ましい友情でしかない。
 しかし、やがて双方の両親、特にポーリーンの母が危惧するほど、二人の友情は深く親密になっていく。
 事実、ポーリーンとジュリエットは精神的な双子と言って良かった。共に互いのことを命綱(実際ジュリエットはこのようにポーリーンのことを表現している)と感じていて、生命維持装置のように思っていたかもしれない。だから、この絆が切られることは、文字通り命の危険だと考えたのも無理はない。
 確かに、二人の親密さは当時の社会規範からすれば、眉を顰めるようなものだっただろう。特に肉体的な親密さは、二人の友情が恋愛関係と思わせるようなものに見えたらしい。
 後年、ジュリエット本人が「彼女とはレズビアンの関係ではなかった」と恋愛関係にあったことを否定している。確かに思春期に性の問題は切っても切れないものだけど、この件では実際に恋愛だったかどうかというのはあまり問題じゃなくて、自分以外の他者に対して度を超えて感情移入していることに周囲は不安を抱いたのでは、と推測する。
 事件を起こす前年、ジュリエットは結核に罹り、療養所に入院することになったのだけど、これ以降ジュリエットは学校に行くことはなくなり、ポーリーンとの日常的な触れあいは一時絶たれている。また、彼女の両親もこの時期イギリスに帰国していて、この間は当然娘とは会っていない。
 この辛くて寂しい時期に、一度ポーリーンが療養所を訪問しているんだが、このことはジュリエットにとって現実でも空想でも、ポーリーンの存在が生きる希望、命綱になっていたはずだ。まるで二人の身体は見えないチューブか何かで繋がれているように。それを証明するように、、ジュリエットの病気はポーリーンの心身にも影響を与えていて、同じ頃、目に見えて娘の体重が減少したことをポーリーンの両親は心配している。
 このように自他の境界が曖昧になっていき、自分たちだけの世界や宗教を作ったりして、何だか危うい娘たちを、大人たちは何も手を打たず、黙って見ていたわけじゃない。
 ただ彼女たちの悩みというのが自分たちの理解を超えていたのもあるし、また大人たちも自分の問題で頭がいっぱいで、子どもの苦悩まで手が回らないという背景もあった。特にジュリエットの家庭は事件前は崩壊寸前だった。
 ジュリエットの父のヘンリーは、クライストチャーチのカンタベリー大学の、カレッジの学長としてニュージーランドにやって来たのだけど、着任早々職員や教員と対立してしまい、結局最後まで関係が修復されることなく大学を去ることになる。また、ヘンリーの悩みはキャリアだけでなく、夫婦関係にも及んだ。妻のヒルダが仕事で知り合ったウォルター・ペリーと関係を持ってしまう。それだけでなく、ヒューム夫妻はペリーと同居するという異常な状況になる。
 おいおい、妻の愛人と暮らすとか、岡本かの子と一平かよ。
 と呆れてしまうけど、ジュリエットは母とペリーの関係を知らなかったらしく、その”現場”を目撃してしまってショックを受けている。
 子どもが問題を起こす時というのは、親たちが自分の問題(つまり夫婦関係)が危機的状況にあることも多いらしく、子どもの問題行動(摂食障害だったり、暴力問題だったり、自殺未遂だったり)に両親がかかりっきりになっている間は、自分たちの問題から目を逸らすことができるのだ、というのを読んだことがある。ジュリエットにそういう意図があったかどうかは分からないけれど、行動を起こしたことの背景の1つとして無意識にあったかもしれない。

 と、こんな昼ドラのような泥沼な環境のヒューム家と比べれば、リーパー家の方はごくごく普通の一般家庭のように一見見える。だが、実はリーパー家にも世間には言えない秘密があった。
 それは、ポーリーンの父ハーバート・リーパーはオノラと出会った時点で、家庭を持っていた既婚者だった(子どももいた)。つまり、不倫関係だったわけなんだけど、ハーバートは正式に離婚せずにオノラと家庭を築いていたことになる。その事実をポーリーンの両親は子どもたちだけでなく、周囲にも隠していたらしく、ポーリーンたちの裁判でその事実が公にされてしまう(そして、母子の姓はそれまで呼ばれていたハーバートの姓の「リーパー」ではなく、オノラの姓である「パーカー」で呼ばれる)。
 このことは、ハーバートとオノラ、特にオノラがどんなことを考えていたかを知る鍵になる気がする。
 つまり、夫婦として認められていないという罪悪感から、世間から何とか後ろ指をさされないように細心の注意を払って生きてきた女性の姿がそこにあるのだ。
 世間の規範に背いてしまったからこそ、世間が正しいとする枠から外れないように生きることが大事なんだと思い、子どもの躾けも厳しくやって来た。それなのに、自分の娘が、事実でなくてもあろうことか同性愛者と見られることに不安を感じたんじゃないかと想像する(1950年代の同性愛者に対する偏見や差別は今の比じゃないと思う)。
 二人の関係に懸念を抱いていた大人たちの中でも、特にオノラが強く異を唱え、娘に厳しくしていたように見えたのも、そういう心情があったから、というのは考え過ぎか。
 それでなくとも、思春期ってのは自分の親だってだけで必要以上に親を鬱陶しがる時期だけど(そして時期が過ぎれば、憑きものが落ちたようにすっきりさっぱりする)、ポーリーンと母の関係は、何か一つ間違えると暴発する危険性があったんだろう。そして、自分の母を疎ましく思うあまり、ジュリエットの母ヒルダを理想の母と思慕して、ジュリエットと双子という設定でヒューム家の子どもになる夢を実現しようと、母親を殺そうとした。
 なんてことだって、なくもない。
 しかし、だからといって自分の母親、親友の母を殺そうなんて普通じゃない。ていうか、普通じゃないからそんなとんでもないことを実行出来たんだけど、その辺りの心境というか思考はどうなってるんだろうかと、犯罪心理に興味ある人なら思うはず。
 そして、この当時ポーリーンが何を考えていたか分かるものがあるんだよ。
 そう、それは彼女が書いてた日記。
 証拠品として押収されていて、この中で赤裸々に二人で立てた母親殺害の計画を書いている。

 えー、ここから人によっては本当に精神的にダメージ喰らうかもしれないので、逃げるなら今よ!

 と注意書きしておいて、進みますわよ。
 それまでも、日記には母に対する不満や怒り、苛立ちを書いていたポーリーンだけど、それらの感情が殺意として明確になったのは、ヒューム夫妻が離婚したのがきっかけだったらしい。その後、大学の学長を辞めた(というか実質解雇)ヘンリーたちがニュージーランドを離れるのに合わせて、ジュリエットも病気療養のために南アフリカに行くことが決まる。
 離ればなれになることに、ポーリーンは本気で死を望むくらい不安になったけど、その危険な考えはすぐ違う考えで打ち消される。

 母への怒りがこみ上げてきた。母こそが私の行く手を阻む大きな障害なんだもの。すると、急にこの障害から逃れる良いアイデアが浮かんだ。もし母が死んだら……。

1954年4月28日のポーリーンの日記

 デボラ(注:二人の間だけに通じる名前をつけていて、ポーリーンはジュリエットのことをこう呼んでいた)にはまだ計画は話していない。(中略)あまり面倒なことはしたくない。自然死か事故死に見せるようにしたい。

1954年4月29日のポーリーンの日記

 これから犯行まで、日記の中のポーリーンは現実と空想を行き来しながら、犯行を実現するための意欲を高めていく。
 そして、犯行前日。

 デボラから電話があり、土嚢の代わりに石を靴下(注:この場合ストッキング)に入れることにした。そのことをじっくり話し合った。まるでサプライズパーティーの企画を考えているみたいで、とっても緊張している。母は明日のことに夢中になっていて、その幸せな出来事は明日の午後に起こる予定。だから、次にこの日記を書く時には、母はもう死んでいるでしょう。すごく奇妙だけど、なんて嬉しいことだろう。

1954年6月21日のポーリーンの日記

The Day of The Happy Event(幸せな出来事の日)

1954年6月22日の朝に書いたポーリーンの日記

 6月22日は、こんな感じで事件は起きた。
 ポーリーンとオノラと出かけることになっていたジュリエットが、昼前にリーパー家を訪問する。顔を合わせたジュリエットとオノは和やかに言葉を交わしていて、不穏な様子はどこにも見られない。しかし、ポーリーンの部屋で二人きりになると、オノラ殺害のための準備を進める。それから帰宅したハーバートと姉のウェンディと一緒に楽しく昼食をとった後、3人はバスでヴィクトリア・パークに向かう。
 ヴィクトリア・パークに着き、バスから降りると、オノラが喉が渇いたと言うので近くの喫茶店でお茶を飲んでから、ヴィクトリア・パークの中を歩くことにした。急で狭い道を、ジュリエット、オノラ、ポーリーンという並びで進んでいく。
 すると不意にジュリエットが何か落ちていると言い、オノラにそばに来て見るよう声をかける。彼女の誘いを疑うことなく、オノラは地面に落ちているものを見ようと身を屈める。
 その時だった。
 母の後ろに立ったポーリーンが、バッグに入れていたストッキングに入れたレンガを取り出し、母の頭めがけて振り下ろした。
 何度も何度も母を殴りつける。
 しかし、母はなかなか死ぬ気配がない。
 そこにジュリエットも加勢する。
 それからほどなく、オノラの意識はなくなる。
 
 ついに大きな敵はいなくなった。これで、二人は自由になる。
 ……はずだった。
 だが、遺体は明らかに殺人が起きたことを表している。ポーリーンは警察の聴取に「母が足を滑らせて、頭をぶつけた」と証言するが、現場で血まみれのストッキングが見つかったことを告げられるとすぐに動揺し、その瞬間からずるずるとポーリーンの潔白は崩れ、その日のうちに殺人罪で起訴される。
 後日、ポーリーンの日記にあるジュリエットについての記述から、警察はジュリエットも聴取する。彼女は自らも犯行に関与したことを認めた。

 事件は、二人の人生を大きく変えたが、双方の家族の人生も激変させた。
 ヘンリー・ヒュームは娘の罪状認否から数日後、娘を見捨てるように息子(ジュリエットの弟)だけを連れてニュージーランドを離れ、ヒルダは心理的にも経済的にも困難な状況に陥りながら、愛人だったウォルター・ペリーに支えられながら娘の裁判に臨んだ(後に二人は結婚し、生涯を添い遂げる)。
 またハーバート・リーパーは妻を娘に殺されるという悲劇を耐えて生きていかなければならなかったし、兄姉は母を奪った妹を赦すことは出来なかった。
 裁判では有罪判決が下されたが、死刑に処すには幼すぎる(16歳と15歳)と判断され、禁錮刑になった。ただし、収容される刑務所は別々にされている。
 それから5年後、21歳になったポーリーンとジュリエットは仮釈放され、新しい名前を与えられてそれまでの人生とは違う人生を歩むことになる。
 その後、この事件は社会から忘れ去られるかに思われたが、1995年、ピーター・ジャクソン監督の『乙女の祈り(Heavenly creatures)』が公開されたことで再び注目される。
 すると、思いがけないことが起こった。
 とある女性が、「ジュリエットは自分だ」と告白したのである。
 その人は、イギリスのミステリー作家として活躍していたアン・ペリー(Anne Perry)だった。
 刑務所から出た後、イギリスに戻り、継父の姓であるペリーを名乗っていたという。
 ならば、ポーリーンは? 
 ポーリーンも実はニュージーランドを離れ、イギリスに渡っていたことが判明している(実は母オノラはイギリス出身)。
 社会から隠れるように生きてきた二人の女性の人生は、決して平穏だったとは言い難いもののようだ。共通しているのは、共に信仰を支えに生きていたことくらい。
 そして、アン・ペリーことジュリエット・マリオン・ヒュームは2023年4月に84歳で亡くなる。
 ただ1つ確かなのは、裁判が終わった後、二人が再会することは一度もなかったことだ。

 この事件はかなり特異なケースだけれど、基本的に思春期なんて、自分のことしか考えてないし、今、この瞬間だけしか目に入ってないものだ。
 その様子は大人たちの目には自分勝手で、わがままに映るだろうし、子どもが主張することは支離滅裂で理解出来ないものが多いはず。でも、子どもにとってこの”わがまま”は、「もうアンタたち(親)の保護の手は要らない!」という、健全な独り立ちの自己主張の意味もある。
 しかし、もう子どもじゃない、一人の人間として認めてもらいたいと逸る気持ちや、未来のために今を我慢して待つ苦しみから逃れようと焦ってしまい、自分のことまで見失ってしまっては、自由になるどころか、生涯自分の思春期に囚われたまま生きることになる。
 そして、自由は人倫の道を踏み外す理由には決してならない。
『クローザー』でのブレンダの言葉は、その真実について正しく言い表している。

「自由を得るために人を殺していい文化なんてない」

『クローザー』 S1/E11『自由を求めて』

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