松村雄策氏が亡くなった時、rockin’ onを読まなくなってもう随分経つにもかかわらず、「ああ、もう渋松対談は読めないんだな……」としみじみ思ったものだけど、今度の渋谷陽一氏の訃報にはそれ以上に動揺した。
「ワールド・ロック・ナウ」が終了するというニュースを知った際、渋谷さんの体調があまり思わしくないという情報もあって、若いと思っててももうそんな年齢なんだよなと思ってはいたけれど、それでも毎月欠かさずロッキンオンを買い、毎週「ワールド・ロック・ナウ」を熱心に聴いていたド田舎のロックファンにとって、本当に一時代が終わってしまったという、曰く言い難い感慨を覚えさせるには充分だった。
そんな余韻に浸っていたら、追い討ちをかけるようにオジー・オズボーンの訃報も入ってきて、一体この先ワタシはどう生きていけばいいんだろうかと途方に暮れて、つい宮崎駿御大に泣きつきたい気持ちになった(迷惑だからやめなさい)。
ところで、ブラック・サバスがイギリスのバンドだったと知った時、ハードロック、ヘヴィメタルはアメリカの専売特許みたいなもんだと思い込んでいたこともあって(ああ、あれだな。『ベストヒットUSA』のイメージだ)結構びっくりした記憶がある。
イギリスのロックというと、パンクとかニューウェイブとか常にちょっと尖った音楽を生み出すって感じだったから、ヘヴィメタルのゴッドファーザーが実は英国紳士だったのは正直意外だった。 でも、『ロックフィールド 伝説の音楽スタジオ』を見たら、サバスはイギリスで生まれるべくして生まれたバンドだったことがよく分かる。
『ロックフィールド 伝説の音楽スタジオ』はイギリスのウェールズにある音楽スタジオの歴史を描いたドキュメンタリー映画。
エルヴィスに憧れ、ロックスターを目指したウェールズの農家に生まれたチャールズとキングズリーのウォード兄弟が、夢破れたものの消えることのない音楽への情熱を、音楽スタジオとして形を変えたことで、その後の世界の音楽シーンに大変革を起こすことになった。
やがてこのウェールズの片田舎にあるスタジオから、イギリスを代表する名作が生まれていく。
クイーンの♪ボヘミアン・ラプソディーも、オアシスの♪ワンダーウォールも、コールドプレイの♪イエローも、ここで生まれた。特に♪イエローが出来た時のエピソードなんて素敵過ぎて、もう何か「ズルーい!」って思った。何だソレ?
世代的に、シャーラタンズとオアシス、マニック・ストリート・プリーチャーズが出て来てくれてめちゃくちゃ嬉しかった。ちなみに、ストーン・ローゼズはインタビューを断ったって。何だよ、こういう時に出てこないなんて、マニもイアンも口ほどでもないじゃーん。
途中、
「女性アーティストやバンドは来なかったんですか?」
とインタビュアーが訊くくだりがあって、スタジオのスタッフであるキングズリーの娘さんは、
「そういえば、男子ばっかりね。どうしてかしら?」
と不思議がってたけれど、ああいう田舎暮らしでも男子ってあれこれ楽しみを見つけられることが多い(森の中でショットガンをぶっ放してたサバスとか、コンバインで暴走してストーン・ローゼズの様子を見ようとしたリアムとか、仕事終わりにパブで町の住民と飲んだりだとか、のんびりドラッグをキメたりだとか)気がする。ほれ、部活の合宿的な感じで、わいわい楽しめちゃうんじゃないかなと思う。
その点、逆に女子はつるむと街を目指しがちな気がする。自然は一人でゆったり過ごす感じ。少なくとも私は。
でもまぁ、男女関係なく共同生活が長くなっていくと、順調にいってる時は和やかに進むし、行き詰まってるとギクシャクしてくるもんなんだけどな。
その後、ロックフィールドの成功で他にも滞在型のスタジオが増えてきたことに加え、ダンス・ミュージックが流行した時代は、ロックフィールドもかなり苦しい状況に陥った。
ウォード兄弟は袂を分かち、それぞれの道を歩むことにもなった。
しかし、時代は巡る。
で、ここでストーン・ローゼズ登場。というか、マッドチェスター・ムーブメントがやって来て、やがてブリットポップでロックンロールの復権で「クール・ブリタニア」だぜ(そして、ここでトニー・ブレアが首相だったことも思い出したりなんかする)。
ってことで、満を持してオアシスのお出ましとなるわけだけど、ここでもギャラガー兄弟は伝統芸能の兄弟ゲンカをしていた。
お願いだから! 頼むから! 今回の再結成ツアーはケンカしないで無事に完走してくれ。ライブには行けなくてもマジで祈っております。
そして、映画にはオジー・オズボーンも出演して、まだ海のものとも山のものともつかなかった時代の思い出を語っている。
自分の望むものが分からず、エネルギーを持て余していたバーミンガムの若者(「競走馬の活力はあるが、走る場所がない感じ」)が世界的ロックスターとなって世界中の若者の憧れとなる軌跡は、まさに王道のロックンロールドリームと言って良い。もちろん、この成功にはトニー・アイオミという若くして素晴らしい才能を持ったギタリストと知り合いだったという天の配剤もある。
この映画を見ているとかつて言われていた、
「ワーキングクラスの若いモンがイギリス社会でのし上がるなら、サッカー選手かロックスターになるしかない」
という言葉を思い出した。
建前上は平等に機会があるとしていても、何百年と続いたイギリスの階級意識がたかだか数十年でなくなるはずもなく、いくら成り上がってもワーキングクラスはワーキングクラス。王室はともかく、アッパークラスはもちろん、ミドルクラスであっても上流と下流じゃ細かいとこで階級差があったりするらしい。サッカーはワーキングクラスの娯楽で、アッパーはクリケットとかさ(でも、そんな上流階級のスポーツが旧植民地のインドでも人気というのは面白いね)。
そんな「ワタシとアンタじゃ住む世界が違うのよ」な社会で、ワーキングクラスが一発当てるのは至難の業。
でも、才能は作られる以上に運によって生まれる要素が強い部分が大きい。
そして、アメリカの黒人が生み出したロックンロールの熱は、大西洋を渡ってワーキングクラスの若者に伝播していき、爆音をかき鳴らして叫び始めた。
そして、音楽という武器を手にした彼らは、世界中の若者に政治家以上の影響力を持ちはじめ、また王族以上の憧憬を抱かれるようになった(ストーン・ローゼズの♪I Wanna Be Adoredですな)。
その後、ギターだけで飽き足らなくなったら、クスリをキメつつ、ダンスミュージックに溺れていくうちに、絶対崩れないと思っていたイギリスの階級社会の分厚い壁が、たとえクスリとダンスの影響があったとしても易々と崩れてしまった。
セックス、ドラッグ&ロックンロールで、シガレット&アルコール(オアシスの曲ね)で、結果として世界を解放し、人々を一つにしてしまった。
「音楽で世界は変わらない」と言う人もいるけど、たとえ一時的に、一夜限りでも、音楽は世界を変えてしまうことだってある。
幻想と笑いたければ、笑えば良いさ。
でも、どんなささやかな幻想でもそれが大きくて強い生きる糧になることがあるんだから。
だって、それがロックンロールの夢の原動力でもあったのだから。
「まだまだこれからだ」
というキングズリーの言葉を信じられる限り、ロックンロールは決して死なないし、死ぬわけにはいかないのだ。
ちなみに、映画の中でオジーは、
「ドラッグはすべてを台無しにする」
と言っているのでやめましょうね。本当に!


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