意識が戻ってオレが思ったことは、
「これで死んだら、世間は絶対オレのことを指差して笑うんだろうな」
ってことだった。それだけは何とか避けたいな。このまま死ぬなんて、死んでも死にきれないってもんだ。
倒れた時と動悸はそれほど変わらず、息をするのが苦しい。それでも、何とか今の自分の状況を把握しようと目を開ける。
天井しか見えないが、薄暗かった部屋の中は意識がなくなった時より少しばかり明るくなっていた。テレビはプライムタイムにやっているDr.フィルの番組を映しているようで、いつものくだらない自己啓発話を垂れ流しているのが聞こえてくる。
彼女はこんなものを有り難がる女だったのか、と可能な限りの力を込めて呼吸を整えながら思う。
まあ、シュガーダディなんてものを必要とする女なんだから、軽薄な人間なのは当然と言えば当然だろうが。自分の人生の指針や信条を世間の価値観に合わせることが出来る、よく言えば柔軟、ハッキリ言ってしまえば薄っぺらい人間の片鱗は、付き合い始めてから端々に見えていた。
彼女、メアリと出会ったのは、一年前とあるアプリでだった。
そのアプリというのは、いわゆる企業の取締役が業種の垣根を越えて情報交換をしたり、交流をするというよくあるソーシャルメディアだった。
表向きは、だが。
実態となると、”援助”を必要としている女性と、”支援”したいエグゼクティブの出会いを結びつけるマッチングアプリで、要は金持ちオヤジの下心と若い娘の様々な欲望、つまり大金が欲しいとか高価なバッグやらアクセサリーが欲しいとか言ったような物欲とか、或いは自分のキャリアのためにコネを作っておきたいという野心を実現させてやろうという「親切」なアプリだ。
ま、要するに若い女のシュガーダディになってあれやこれやしたいスケベオヤジと、そんなスケベオヤジを利用してやろうという軽薄なシュガーベイビー志望の小娘との出会い系アプリってだけなんだけどな。
でも、まさか自分がこんな羽目に陥るとは思ってなかった。
「そんなアプリを使ってるようなヤツが何言ってんだ」
なんて思わないでくれ。確かに、今のオレは愛人の家でクスリをキメ過ぎて今わの際になっちまってるけど、本当のオレはこんなんあじゃないんだ。本当だ、信じてくれよ。
あとオレのことを、順風満帆な人生を歩んできた果報者だと想ってる人間が多いが、そんなことはない。オレはオレなりに苦労して生きてきた。易々と、この大企業のエグゼクティブの地位を手に入れたわけじゃない。
世の中には、誰も聞いちゃいないのに自分の実績をべらべら話して聞かせるバカがいるが、そんなヤツの話は話半分に聞いとかないと、信じた側が恥をかく。大きな顔して自画自賛する人間の実績なんて、本当は大したことがないのが事実なのさ。周りが汗水垂らして働いてる間に、自分はヘコヘコお偉方に媚びて作ったコネを手に、他人の実績を強奪して自分の名前を貼り替えてるだけさ。その証拠に、「取引なら任せておけ」なんて豪語してるヤツほど、相手の手玉に取られてやがる。裏じゃ後ろ指指されて笑われてるのにも気づかず、自分は相変わらず大物ぶってて、まあオメデタイってもんだ。
オレはそんな連中とは違う。子どもたちの良き父であり、妻を心から愛する良き夫であり、そして、従業員の幸福を心から願っている経営者だ。だから、稼いだ金を頭の軽い女に注ぎ込むような倫理観の欠落した男じゃない。 それなら、何でお前は今こんなことになってるんだ、って?
それについて話すとなると長くなるんだが、さすがに死にそうになってる今は手短にまとめた方がいいかもしれないな。
つまりは、オレもただの男だったってだけの話さ。つまり、真面目に生きてるだけじゃ、人生つまらないだろ? そういうことだよ。
幸い、オレには金がある。それも平凡な人間が一生かかっても使い切ることが出来ないような金が。そして、バベルの塔にも匹敵するほどの、高い社会的地位を求めて近付いてくる女たちもいる。
大抵の男が喉から手が出るほど欲しがるものを手に入れてるんだ、活用しなきゃ、この人生を恵んでくれた神様にも申し訳ないってもんだ。
そんなオレのお眼鏡にかなった女がいて、その女が極上のヤクを手に入れてくれたんだから試さなきゃ。人生は愉しむためにあるもんだ。だから、オレは大いに人生を愉しもうとした。
でも、その結果がこうなるなんてな。
いや、薄々こうなる可能性があることは考えてた。知り合いにもちらほらこういうみっともない真似をして死んだヤツがいるからさ。もしかしたらって、考えがよぎったことが1度か2度はある。
しかし、人間ってもんは危険なことでも慣れてくると、もう心配することなんかバカバカしいって思ってくる。「これまでだって大丈夫だった。だから、次も何もないさ」って油断するもんだ。
さっきだって、メアリが言っていた。「そんなに沢山キメちゃうと死んじゃうわよ」って。でも、オレはハイになれる嬉しさでヘラヘラしながら、こう返すだけだった。
「何ともないって。もうオレの血はヤクで出来てるようなもんなんだから、これくらいの量じゃビクともしないね」
で、案の定こうなった。人の忠告ってのは、ちゃんと聞いておくべきだな。身に沁みて分かったよ。
さて、オレはこれからどうなるのかな? 死ぬのかな? それとも、異変に気づいたメアリが救急車を呼んでくれるのかな? ていうか、アイツ、ナロキソン持ってなかったっけか? おーい、メアリー!
声を出して呼ぼうとしたけど、声が出ない。というより、口を開けようとしても口に力が入らない。それなら、拳で床を叩いて音を出そうとも思ったけど、腕から力が抜けてしまっている。
ああ、これで万事休すか。
ここで惨めに死ぬのかと思うと、寂しくて泣きそうになる。せめて、サラに会いたい。あんなに好きで好きで、結婚したときは彼女と生きていくことが現実になって飛び上がるほど喜んだのに、こんな風に彼女を裏切ることになるなんて。
ごめんよ、ごめんな、サラ。こんなことになっちまって、本当にごめんなさい。マイクとケイトのことを頼むよ。
ああ、サラ。本当に君と出会えて良かった。君と共に生きることが出来て本当に良かった。感謝してる。
でも、でも……。
出来ることならサラに会いたい。その可愛い顔を一目見てから死にたいよ。「ねえ、メアリ。目が少し開いてるわよ」
その声は……、サラ? サラが、ここにいる?
「ああ……、ちょっと戻っちゃったわね。でも、この状態になったら、あと一時間も持つわけないわ。気にすることないわよ」
この声は、メアリだ。どうして? どうしてこの二人の声が聞こえる? これは現実なのか?
現実であって欲しくない。あっちの世界に足を突っ込んでいる意識が聴いた幻聴であった欲しかった。
だが、現実は常に残酷だった。
薄く開けられた目が見たものは、愛するサラがメアリと仲良く、自分を見下ろしながら会話をしている姿だった。
「どのくらいの量を使ったの?」
「あれくらいの小袋半分なら、普通は10回分くらいのものだからね、推して知るべし、ってところね」
「そんなに?」
「彼、最近どんな感じだった?」
「前より何かソワソワしてるように見えたけど……」
「最近は会うたびに量が増えてたから、もう中毒者って感じになってたかもね」
「それなら遅かれ早かれ、こうなるのも時間の問題だったわね。ねえ、いつ救急車呼ぶ?」
「あと10分くらい待とうかな。事切れてから呼んであれこれ警察にせっつかれても困るから、ちゃんと病院で確認してもらうわ」
「そうね。それなら、保険会社の方も最初から疑ってかかることもないだろうしね」
「でも、まさかあなたの方からこの話を持ってくるなんて思わなかったわね」
「ふふふ、そりゃあね。世間から見ればお手本になるような良妻賢母でしょうから、まーさーか、夫の愛人と手を組んで、良からぬことを企んでるとは想像しないでしょうよ。でも、そんなロールモデルなんてクソ食らえだわ。この人と一緒に、とっとと捨ててやる」
「ははは、それでこそよ。で、葬儀に着る服は決めた? すぐ分かる高級メゾンとか豪勢な目立つ服はやめておきなさいよ」
「はっ、そんなの着るわけないじゃない。そういうのはね、明らかに保険金目当てに資産家ジイさんと結婚したバカしか着ないわよ。自分の身の程をわきまえている可哀想で気の毒な二人の母は、それらしい装いをするものよ。って、そろそろ行くわね。全部終わったら知らせてね」
「ええ、分かったわ。じゃあ後でね」
そうして、サラはオレの視界から消えていった。
それと同時に、オレの意識も少しずつ遠くなっていく。
ああ、サラ。サラ、君は、君がこれを仕組んでたのか?
オレは君のことが分からない。
でも、オレは君について分かっていたことなんて一つもなかったのかもしれないな。
ああ、サラ……サラ……サラ……サ、ラ……サ……ラ……サ……サ……サ……ラ……サ……。
マイ・スウィート・ナイトメア
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